人はパンだけで生きるものではない



 クラスの役員が決まって以来、HR委員が何回かの集まりを持った。私が同席したのはその内の2回。特に、一昨日、1学期のLHR計画を考えた時は楽しかった。いくつもの奇抜なideaが登場し、それらのイメージを膨らませながらいろいろな話が出来たからである。さあ、そろそろ終わりにしようか、と言った時には約1時間が経っていた。

 銭湯へ行こう、から始まって、とにかく1年間の内に新聞に載るようなことをやってみよう、まで・・・。何か面白いことがないか?とideaを出し合えば、「そんなこと出来る訳ないだろ・・・!?」と言いたくなるようなことも出て来る。私は「あきらめろ」「バカなこと言うな」とは言わない。そこには、「面白い」ということの本質があると思うからである。すなわち、出来そうなことが実現しても面白い訳がない、出来ないだろうと思ったことが実現するからこそ「面白い」のである。

 かつて、埼玉県のS先生という人の話を聞いたことがある。何を隠そう、あの「金八先生」のモデルになった人らしい。以前、この人が担任をしていたクラスで、文化祭企画として「熱気球」を作ろうという話が出たそうだ。予算は15000円である。この時、どうしても実現させたいと思った生徒は何人かいたが、本当に出来ると思った人はいなかった。試みに、材料を探し、費用を計算してみたところ、少なくとも150000円(予算の10倍!)はかかることが分かった。ここであきらめては話にも何にもならない。この発想にひときわ執着した生徒が一人いて、彼が中心になり、ゴミ捨て場の廃材から親のコネまで、あらゆるものを使って、結局1ヶ月あまりで気球を完成させてしまった。これはその後、全国のいくつかの高校(宮城では松島高校)で熱気球を挙げる最初の事例となった。その他、ヒマラヤの7000m峰の頂上に立った高校生もいる。何か大きなことをやろうという合い言葉だけで、10000人もの高校生が集まる集会を作ってしまった高校生もいる。人間(高校生も)の知恵や力というものをあまり甘く見てはいけない。要は、どうしてもやりたい、と思う気持ちがあるかどうかだ。もちろん、熱気球を上げた高校生だって、そのためにはすさまじいまでの苦労をしただろう。しかし、彼らは、それを苦痛と感じていただろうか?いや、恐らくその苦労は、ワクワクするような喜びと興奮であったはずだ。

 人はパンだけで生きるものではない。では、他に何が必要なのか?答えを一つに限定する必要はないと思うが、その答えの一つに、間違いなく「夢」が含まれると思う。一見出来そうにないが、もしかしたら出来るかも知れない、そんなトキメキをいつも感じていたいものである。

 残念ながら、学校という場所は、素晴らしいことをするよりも、問題を起こさないことが大切にされる傾向がある。どうにもならない部分もあるが、どうにかなる部分もある。今後も、HR委員を中心にいろいろなことを考えて、挑戦してみて欲しい。