A君の冥福を祈る



 球技大会の日に学校で突然倒れたA君は、一度も意識を回復しないまま、終業式の翌日、7月20日午前に息を引き取った。

 日頃から付き合いのある生徒が死んだというのは、私にとって初めてのことである。いや、両親が健在であり、親戚が全て関西にいて日常の付き合いが無く、おじ、おばどころか、祖父母の葬儀にも出たことがない、そして友人を亡くしたこともない、という都合、A君の死は私にとって、今まで生きてきた中で最も身近な「死」であったように思う。

 私は当初、彼が危ないということを聞いても、全く実感がわかなかった。20〜21日、部活で山へ行っていて、帰宅すると連絡が入っており、この時あたりから、「彼が死んだ」という事実の重さが少しずつ感じられるようになってきた。

昔、太平洋戦争の時、99%死ぬという作戦に出撃する兵士の顔と、100%死ぬという作戦(特攻)に出撃する兵士の顔は、その悲壮感において全く違っていた、という話をどこかで読んだことがある。たとえ1%でも生きて帰る可能性が残っているということは、それほど大きいということだ。思えば、「二度と会わない」などということは、人生の中でいくらでも経験する。行きずりの人だけではない。諸君の中にさえ、私が転勤するか、諸君が卒業するかすれば、一生会う機会のない人は結構いるに違いない。しかし、恐らく、それはどんなに低い可能性でも、いつかまた会えるという別れだ。もう絶対に会えないという別れとは決定的に異なる。告別式で、彼の骨箱を目の前にした時、私はその深刻さに戦慄した。

 その戦慄は、同時に、「人は必ず死ぬのだ」という当たり前のことに直面した当惑でもあったと思う。これは、私も諸君もやがては避けて通ることの出来ない、当然のことでありながら、日頃私達はそのことをあまり意識していない。

 7月24日、法山寺で告別式が行われた。高校のみならず、中学校の同級生など、多くの参列者があった。式の中で、同級生を代表してK君(中学校以来の同級生で、共にヨット部)が「お別れの詞」(弔辞)を述べた。実感に満ちた、虚飾や誇張のない、大変よい弔辞だったと思う。その最後の部分で、K君はおよそこんなことを言った。「将来に向けて多くの希望を持ちながら、16歳で死ななければならなかったAのことを思うと、自分たちは今後の人生を頑張って生きなければならない。」と(こうして書くと、当日聞いた時よりも平凡で薄っぺらい)。

 「A君の代わりに」、「無念だったA君のためにも」とは考えるまい。「常にA君のことを思って」とも考えるまい。今回の彼の死をきっかけに、同様に死に向って生きる私達が、より真剣に自分たちの人生について考え、一瞬一瞬を大切に生きていくことが出来るようになれば、私達がたとえA君の存在を完全に忘れてしまうことになったとしても、実質的には、彼は私達の中で生き続けることになるのだと思う。A君の冥福を祈る。