読書の思い出



 家庭環境の成せる業と言うべきか、「本能」と言うべきか、幼い頃から本はよく読んだ。ここでは、高校・大学時代の私の(専門書を除く)読書の思い出を、ごく簡単に振り返ってみようと思う。

 

 高校時代は知的好奇心の旺盛な時代である。と同時に、大人になりたいという欲求が強かったというか、とにかく背伸びをしたくてたまらない時期であった。普通の小説やノンフィクションもよく読んだが、一方で、難しげな本を前にしては、大人になったような満足感と、その本が理解できないもどかしさを同時に抱えてもいた。リルケの『若き詩人・女性への手紙』や『マルテの手記』、阿部次郎の『三太郎の日記』、倉田百三の『愛と認識との出発』など、まるで戦前の学生の読書生活のようであった。

 そんな私にとって、歴史の授業は刺激に満ちていた。何も授業が立派だったとは思わないが、「文化」の項に出てくる様々な作家、芸術家とその作品名は、私の知らない広大な世界が存在することを私に教え、憧れを掻き立てた。「今はその全てを読む(見る・聴く)わけにはいかないが、大学に入ったら読み尽くしてやる」と、じりじりするような気持ちで教科書を見ていた。

 一冊だけ、授業中の先生の話をきっかけに読んだ本がある。小林秀雄の『本居宣長』である。確か、日本史の先生は「この本を読んでいると、宣長という人が史上最も優れた学者だったように思えてくる」とおっしゃったように記憶する。「史上最も優れた学者」という言葉に心引かれ、それがどれほどのものか知りたくて、大阪・阪急梅田駅(当時私は兵庫県民だった)の地下にある古本屋街で、三千円で買った(定価は四千円)。私が高校時代に買った最も高価な本である。

 この本は装丁が美しい。重厚な本の重みを手に感じつつ、濃紺・布張りの表紙を開くと、そこには奥村土牛の描いたすばらしい山桜の絵があって、大学受験を目前に控えた心落ち着かない時期、家人の寝静まった深夜、毎日三十分ずつこの本に向かうことは、私にとって無上の楽しみだった。とはいえ、これは全く当時の私の身に余る本で、おびただしく引用された古文・漢文に四苦八苦し、結果、日本史の先生が言ったような宣長の偉さを感じるにも、作者の主張を理解するにも至らなかった。しかし、作者の頭の中には、契沖、真淵、宣長といった人の著作がことごとく記憶されていることを感じ、勉強するということはこんなに激しい行為なのか、という感銘は強かった。

 高校時代はよく分からなかった小林秀雄だが、大学に入って間もなく、何かのきっかけで『Xへの手紙』の言葉の数々が怒濤のように心に流れ込んできた。その後、小林秀雄の他の著作を読んでみると、以前難しくて分からないと思っていたものが、実に明瞭な意味を持っているように思われ出した。本を読むには、「時期」というものがあるのである。それ以後、小林秀雄の文章はよく読み、影響を受けた。

 その読書論に、「一流の作家の全集を読め」というのがあって、私はそれを忠実に実行した。なるほど、何ヶ月も朝から晩まで同じ人間の作品を、詩も小説も、日記も手紙も、そして対談、翻訳に至るまで読んでいると、時として作者の肉声が聞こえてくるような錯覚に陥ることがある。私は今でも、それは読書における一つの重要な方法論であると思っている。

 1982年、大学二年の時に、初めて外国へ行った。中国である。西安市内の某大学に三週間滞在した。この時、滞在先の大学の学生達と話しをして、中国の学生が自国の歴史や文化について非常によく知っていることにカルチャーショックを受けた。巨大な劣等感を抱いて帰国し、せっせと日本の古典文学を読んだ。平安の王朝文学の類は世界の狭さが息苦しくて、全く好きになれなかったが、『平家物語』や『吾妻鏡』といった歴史文学、或いは文学というより、日本史の生資料と言うべき文章は、中の人間が生き生きしていて皆面白いと思った。

 また、高校時代の友人に薦められてこの時期に読んだ加藤周一の『日本文学史序説』は、日本の文学史をたどりながら日本文化の構造を探ったもので、文学史と言えば単なる知識の羅列と心得ていた私にとって新鮮であり、古典文学を読むための手引きとしてのみならず、文化論としても興味深く、何度も何度も読んだ。名著だと思う。

 大学ではヨーロッパの芸術や文学に接する機会も飛躍的に増えた。そういったことを専攻する同級生の影響が大きかった。ヨーロッパの文学や芸術に意識的に触れると、今度はキリスト教に出会う。もともと高校時代に、クリスチャンであった友人の影響で『聖書(主に新約)』を読んだことはあったが、大学時代に改めて『聖書』に向かい、イエスの視線が、実は神よりも人間に、死後の世界よりも現世に向けられていることに気付いてから、私は宗教を意識することなく、従ってクリスチャンになることもなく、そこに描かれたリアルな人間の姿に大いに魅力を感じるようになった。その後、『新約聖書』は、私が最も繰り返し読んだ本の一つとなっていくが、いつもその時の人生経験と時代状況に応じて、新しい発見と意味の変幻があって飽きることがない。『聖書』が史上最も多く出版された「ザ・ロングセラー」であるというのも当然という気がする。

 ヨーロッパ文芸に関しては、出会った多くの良書の中で、フリードレンダーの『マニエリスムバロックの成立』、阿部謹也の中世史に関する一連の著作、礒山雅の『マタイ受難曲』(これは卒業後か?)などが、教示に満ちた本として特に思い出が深い。

 さて、私は大学に七年間在籍したために、他の人よりも多少は多く本が読めた。しかし、青年期の衝動というものは、何においても激しく見境がない。次から次へと新しい本に手を出し、熟読が出来なかった。だから、当時の読書の結果として得られた知識も思索も薄っぺらで、人に誇れるものはない。むしろ、その若さ故の衝動の激しさ、純粋さにこそ値打ちがあったかな、と思う。

石巻高校『図書館だより』に掲載)