故郷はどこだろう?



 12月21日に辺見庸氏の講演会が行われた。私は主催者の一人だったので、終了後、深夜まで辺見氏と議論とも雑談ともつかない様々な話をする機会に恵まれた。実にいい勉強をしたと思う。

 会話の中で、話題が辺見庸氏の故郷としての「石巻」に及んだ時、辺見氏は、「仙台から仙石線に乗ると、自分には何とも言えない思いがこみ上げてくるんです。故郷ってそんなもんですね」と言った。

 不幸にして、私は故郷を持たない。転勤族の家庭に生まれ、そこへ向うと「何とも言えない思いがこみ上げてくる」場所というのがないのである。そんな私にとって、辺見氏の言葉は羨ましいものだった。

 年は変って1月2日、ワンゲル部のOB会総会というのがあり、呼ばれて行った。酒を飲みながら多くのOBと話をしたのだが、ある人達と、話題が「石巻の沈滞」ということに及んだ。市役所の幹部職員であるOBは言う。「最近、市役所への就職を希望する人が多い。しかし、採用のために面接をしていても、この石巻を何とかしたい、という熱い思いを感じさせてくれる学生は非常に少ない。不況のせいで、働き口を求めるというだけなら寂しいことだ。」別な人が、それに応じて言った。「市役所に勤めるかどうかだけでなく、どんな職業に就いていても、石巻で生まれ育ち、石巻を故郷とする人が、この街の現状を心配し、故郷のために何かをしたいという気持ちになれないとしたら、それだけで十分に寂しいね。」

 これは、新年に聞いた会話の中で、最も心に残るものだった。私も石巻市民としての生活が14年になり、人生の中で最も長く住んでいる場所となった。それでも、幼い日々を過ごしていない石巻は、決して「故郷」にはなり得ない気がする。しかし、そんな私でも彼らの発言に共感は覚えるし、この地域のために出来ることはしたいなぁ、という気になった。