「やりたい」は強い



 数日前の夜、7年前に担任をした生徒D君の母親から電話をもらった。D君が中央競馬の厩務員(馬の飼育係)に合格したという連絡だった。

 それはD君の憧れの職業だった。私がそれをD君から聞かされたのは、彼が高校2年生の時である。当時の彼にとって、それは憧れではあるが、絶望的なほど遠い目標だった。希望者は山のようにいるのに、採用の枠は小さく、しかもコネが必要で、コネのない人間が合格するのは至難であるということだった。私はD君からその話を聞いた時、これは大変だな、と思いつつ、とにかく自分で納得のゆくまで挑戦してみてはどうか、と言ったように記憶する。

 D君が高校を卒業した後、D君自身から葉書や電話、そしてお母さんからも電話をもらうことがあったが、どうやら私は非常に感謝されているらしかった。私が、彼が在学中に出会った先生の中で唯一「やめておけ」と言わなかった人間だったからのようである。私は、私自身が人から指図されるのが大嫌いな人間であるし、自分でやりたいことに挑戦して失敗しても、やりたいことをやらずに後から後悔するよりは、よほど不愉快が少ないと思っているからそう言ったまでであって、D君なら出来るという確信があった訳ではない。まぁ、無責任と言えばすこぶる無責任であり、感謝してくれる人もいる一方で、怨んでいる人も多いだろうと思っている。ただ、やっぱり人生は自分だけのものだからね・・・。

 D君は、体が小さいのに硬式野球部で頑張っていたが、正直、成績は下から数えた方が早かった。その彼が、高校を卒業するとオーストラリアの馬の学校に留学した。英語の成績も悪かった彼が、突然英語で授業を受けているというのは信じ難かったが、本当に学びたいという気持ちがあると、何とか理解できるものだ、というようなことを書いた葉書をもらったことがある。帰国すると、民営の厩舎への就職に奇跡的に成功した。勤務条件が劣悪な中、休日もほとんど無い状態で、馬の飼育に専念していたようである。親は健康状態などずいぶん心配していたが、好きなことだから疲れない、と本人はケロリとしていたらしい。そんな数年間があって、今回の合格だった訳だ。

 お母さんから、電話で合格の報を聞きながら、「とうとうやったか・・・すごいな」と思う一方で、妙に自然で当たり前なことにも思われた。ただ、それが当たり前で自然なことだったとしても、私がこの数年間のD君のひたむきな努力をある程度知っているからそう思うようになっただけであって、彼の合格が、もともと当たり前で自然なものであったのではない。直接間接を問わず、人から仕向けられたのではなく、自分自身が本当にやりたいと思う気持ちが、その人にいかに大きな力をもたらすことか!何とも言えない感動にとらわれた。