染まらないことの勧め



 昨日、勾当台公園で「宮城高校生フェスティバル」というイベントがあった。雑用があったので私は行けなかったのだが、パンフレットも事前に入手していたし、時折、情報を送って来る人がいるので、事情はある程度把握していた。

 なぜ、私の所に多少なりとも情報が流れて来るかというと、この実行委員会が出来るより少し前、「みやぎ高校生フェスティバル」というイベントとその実行委員会があって、私が顧問をしていた。そして、その時のメンバーが、今の「宮城高校生〜」にサポーターとして関わっているので、私も時々話を聞く、というわけだ。

 この二つの実行委員会は、名前こそ似ているが全く別の組織である。しかし、基本的な性格(目的や活動内容)はよく似ている。学校の枠を超えて高校生が集まり、一緒に何かを作り上げよう、ということだ。

 私は、このような活動には大きな意味があると思っている。一高の常識は他校の非常識だ、とはよく言われるが、これは全ての高校(組織、と一般化することも恐らく可能)において同じことが言える。日本人が、外国人と付き合い、外国へ行かなければ世界の中で孤立するのと同様、一つの集団に閉じこもることは、決してよいことではない。この一ヶ月、一高に慣れ、染まることをよしとするようなことばかり言ってきたようだが、一方、常に、そのことによって自分が小さな、特定の価値観の中でしか通用しない人間になることを警戒しているべきだろう。