名古屋マーラー音楽祭第2部本番



 前々から大騒ぎしていた通り、13日(金)の夜から1泊4日で、宮城県内の高校生38名を引率して、名古屋にマーラー交響曲第8番を聴きに行ってきた。

 15日(日)15:15に、ゲネプロ(最終総練習)を見せてもらえることになった。本番前に舞台裏を覗くのも興醒めかな、と思ったりもしたが、これは行ってよかった。高校生に希望を募ったところ、2名が手を挙げたが、実際には来なかった。もったいないことをしたと思う。

 ホールに入った瞬間、1000人(プログラムの名簿によれば、実際には800人だったようだ)を載せるための巨大なステージと、合唱団席として組み上げられた天へも上るような壮大な階段式の足場に圧倒された。丁度、合唱団が入場を始めた所だった。実行委員長から指揮者の井上道義氏にご紹介いただき、指揮者の細かい指示も聞きたいと思ったので、前から3列目の指揮者の斜め後ろに座った。なにしろ、80分余りかかる曲の総練習を60分でやるわけだから、あちこち端折りながらではあったが、これだけ近くで、指揮者の目つきまで見ながら聴いていると、出演者の「気」とも言うべきものに圧倒される。手に汗握る思いで見ているうちに、一瞬にして終わってしまった。

 本番は18:30〜。席は4階のステージに向って右側後方だった。特設ステージが通常の客席に張り出して作ってある都合で、自分の席からは指揮者、独唱者も含め、ステージ前方が一部見えないというのは残念だったが、気にせず音楽自体に向おうと思えば、十分だった。

 素晴らしかった。招いていただいてこういう事を言うのも申し訳ないが、オーケストラは決して上手とは言えない。弦楽器群はまだしも、ソリスト性の要求される管楽器群は、大きな音を出そうと無理をしすぎてか、音程も不安定で音色も精彩を欠いていた。巨大な舞台を作るため、反響板を取り払い、客席にはみ出す形でステージが作ってあるためだろう。ホールの音の響きも甚だ悪い。それでも、演奏にはアマチュア独特の熱気が漂っていたし、何と言ってもやはり曲がいいのである。圧巻は、合唱による最後の場面(第1449小節〜)である。「Alles vergängliche ist nur ein Gleichnis〜」と静かに(厳かに)歌が始まった瞬間、不覚にも鳥肌が立ち、目頭が熱くなってしまった。

 今回のマーラーツアーには、日頃マーラーは愚か、クラシックとさえ縁もゆかりもなさそうな高校生が少なからず参加していたが、そんな高校生が静かに、しかも眠ることもなく80分余りを聴き通し、満面の笑顔で「感動した」「すげかった(凄かった)」と大騒ぎをして、主催者に握手を求めていたというのは、並大抵の出来事ではあるまい。私は、高校時代(1970年代後半)、第8番は聴いたことさえなかったし、FMやレコード(!)で耳にするマーラーは、第1番や第5番ならまだしも、それ以外は、遠く理解の及ばない難解な音楽であった。彼らが、実演で聴いたから感動できたのか、録音で聴いても同様だったのかはよく分からない。しかし、ともかく初めて第8番、いや、マーラーを聴き通して感動できるというのは、素直であり柔軟だということなのだろう。そんなことにもひどく感心した。同時に、やはり、高校生には、「一流」に接するチャンスを与えたいものだと思った。

終演後、井上道義氏から、宮城から高校生が来ている旨、聴衆に紹介があり、我々マーラーツアー一行が立って手を振ると、暖かい拍手が沸き起こった。あれこれと私たちの面倒を見て下さった実行委員会の方々にも、本当によくしていただいた。音楽も、そして人も素晴らしく、たいへん満ち足りた思いで感謝しながら宮城に帰って来た。その後、今でも私の頭の中では、ひたすらマーラーの第8交響曲が鳴り続けている。