塞翁が馬



 諸君も知る通り、本校にはスポーツや学芸の分野で全国レベルの活躍をするスーパーマンが幾人かいる。陸上部の2年生K君も、そんなスーパーマンの一人である。5000m競歩において、県内では目下向う所敵なし。10日ほど前に行われた東北新人では惜しくも4位に甘んじたが、現在は、今月末に埼玉で行われる国体で上位入賞を果たすべく練習に励んでいるそうだ。

 私は、時折耳にする彼の大会成績に感心しつつ、なぜ「競歩」などという陸上競技の中でもひときわ地味な種目を彼が専門にすることになったのか、以前から疑問に思っていた。そして最近、ようやく陸上部の顧問からその理由を教えてもらった。面白いと思った。

 元々、K君は1500mを専門にしたかったそうである。ところが、大会では各校から2名という厳格な出場枠がある。一高には昨年、3名以上の1500m希望者がいたので、校内選考会を行った。その結果、K君は2位以内に入ることが出来なかった。つまり、1500mに執着するなら大会には出られない、大会に出たければ専門を変える、という決断を迫られたのである。そして勿論、その時彼は後者を選び、5000m競歩に挑戦した。仕方なく始めたことであるが、いざやってみると、これがすこぶる性に合っていたらしく、見る間に県を代表する選手に成長した、ということだそうだ。

 中国の有名な故事に「塞翁が馬」というものがある。塞翁という人(「塞」は辺境地区、「翁」はおじいさん、という意味なので、正しくは人名ではない)が馬を飼っていた。ある日、この馬が国境を越えて逃げてしまった。老人が悲嘆にくれていたところ、この馬が、北方の牝の良馬を連れてひょっこり戻って来た。大喜びしていたところ、今度は息子がこの馬に乗っていて落馬し、大怪我をして足が不自由になってしまった。ところが、その後戦争が始まった時に、息子は足が不自由であるために戦争に行かずに済んだ・・・。こんな話である。幸は不幸に転じ、不幸は幸のきっかけとなる。人生の幸不幸は変わりやすいということ、人生にとって何が幸せで何が不幸かは分からない、ということを表す逸話としてたびたび用いられる。

 もちろん、K君が1500mの校内選考会で落ちた結果、競歩という種目に出会い、そこで頭角を現したというのは、「塞翁が馬」の典型的な事例であるだろう。しかし、私が思うのは、自分の意中の種目で大会に出られなくなった時に、ヤル気を失わず、新しい種目を見つけて、一生懸命練習に励んだということの偉さである。始めから終わりまで幸せな、若しくは不幸な人生はあり得ない。故事にあるように、それは交互にやってくる。故事では、それが全くの偶然によって変化するように語られるが、現実はそうではないだろう。不幸に直面した時に、いかにしてそれに挫けないか、いかにしてそれを「幸」に転化してゆくかという努力は重要だ。K君は、私達にそんなことを教えてくれる。