子供は立たせる



 何の因果でか、石巻〜仙台という長距離電車通勤を始めて1年半にもなる。私は今まで、基本的に職(学)住接近型の生活をしてきた。特に高校時代などは、家から学校の正門までよりも、正門から教室までの方が遠いほどであった。まあそれは極端にしても、たいてい30分以内で事足りていたのである。そこで、仙台まで通勤となった時には、あまり朝に強くない(はっきり言って夜型)私が、そんなこと出来るのか、と思ったが、いざやってみると、出来ないものではないし、よい人間観察・社会勉強の場だな、と思うことも多い。

 とはいえ、社会勉強の結果は、残念ながらたいていグチであって、あまり明るい話はない。特に、若者の態度の大きさ、図々しさはお話にならない。例えば、老人に席を譲る光景を見ることなど極めてまれである。高校生・大学生あたりが、今にも倒れそうな老人を目の前に立たせて知らん顔という神経は、私には全く理解不能である。

 そんなことを毎日のように感じていた所、一昨日、模試の後、私としては珍しく、3時という早い時刻の電車に乗って、その背景に思い当たった。休日の日中ということで、子供が沢山乗っていたのだが、親にしてもその他の乗客にしても、老人よりは子供を優先的に座らせようとするのである。2〜3歳の子ならともかく、小学校に入ったくらいの子供でも、だ。こうして育った子は、誤解もするだろう。

 昔、あちこちの発展途上国を旅行していた時、交通機関で親が子供を絶対に座らせない光景というのを幾度も目にし、強く印象に残っている。それが強く印象に残っているということは、当時(20年ほど前)日本は既に今と同様だったのだろう。座席に座るのは老人であり、親であり、子供はその膝の当たりではしゃいではいるが、やがて疲れると、親の膝にもたれかかり、足元にくずおれるようにして眠ってしまう。それでも親はそのままにしておくだけだ。

 これは正しいやり方なのではあるまいか?席を譲る云々ということではない。人は楽をすれば楽をしたなりの、苦労すれば苦労したなりのもの(この場合は体力)を獲得するだろうからだ。果たして、現在老人に座らせてもらっている子供、老人を目の前に立たせている若者は、数十年後に電車の中でどうしているであろうか?