悩ましい真偽と損得の関係



 昨週、自衛隊イラクへの派遣を一年間延長することが閣議決定された。この決定、及び、決定のプロセスに関する是非は、新聞・テレビを始め、あちらこちらで議論され、問題視されていることなので、ここではとやかく言わないが、もう少し普遍的なレベルで気になることを書いておく。

 それは、今回の決定に関する首相の演説の中で、日本がアメリカのやることに賛同・協力すること、自衛隊イラクに派遣することは「日本という国の利益(国益)に適うことだ」と言っていることについてである。

 私は日頃から、やっかいなことだなぁ、と思っているのだが、損得と真偽がイコールでないのは当然のこととして、むしろ、損得と真偽はたいていの場面で逆なのではないだろうか? 例えば、経済的発展を目指すなら、環境問題には目をつぶった方がいい、などというのは分かりやすい例だろう。得をしようと思えば偽(モラルに反すること、人間として間違っていること)をせざるを得ず、真(正しいこと)を貫こうと思えば、損は覚悟しなければならない。生きていると、そんな悩ましい選択にさらされることが数限りないように思う。あまり気軽に「俺は真を取る」などと言ってはいけない。選択によって生じる損得の大きさには非常に大きな幅がある(地動説を主張して死を命じられたガリレオを思い出そう)。他人事を横目で見ながら、俺ならいくら大損しても真を取る、と言っていても、いざ自分のことになると果たして本当に実行できるかどうか・・・?

 様々な場面で、損得のレベル、真偽のレベル、どちらで物事を考え、行動するかということは、その人の人間性なり、人間とはいかなる生き物かという問の答えなりが表れてくる。それは、一個人の単位でも、民族や国家という単位でも同様だろう。そして、少なくとも、自分たちがすることの正当性の根拠として利益を持ち出すことは、あまり堂々とやるようなことではないのではなかろうか?