「同窓会ごっこ」・・・学校の役割とは?



 先週の土曜日、小学校の学芸会があった。小学校の学芸会の話だから、ほのぼの明るいことを書きたいのは山々だが、なかなかそうもいかない。

 5年生の出し物は「同窓会ごっこ」という劇だった。20年後の同窓会に出席してみると、全ての生徒が小学校時代の夢を実現させていた、という設定である。実現させた「夢」とは、基本的に職業のことであるが、以下のとおりであった。

・パティシエ

自衛隊

・シェフ

・花屋

・獣医

・トリマー

・サッカー選手

・バスケット選手

ゲームクリエーター

・科学者

・水泳選手

救急救命

・クリニックの先生

・医療事務

・幼稚園の先生

 いかにも今の小学生がなりたがりそうな職業が並んでいる。調べてみると、原作は梶本暁代というあまり有名ではない脚本家らしい。原作でもこのような職業なのか、演じる生徒の「夢」を聞きながらアレンジしたのかは知らない。

 私が先ず思うのは、農家や漁家といった第一次産業が「夢」の対象になっていないということだ。これは、食えることがあまりにも当たり前、という現在の(人間の歴史の中では例外である、ごく一時的な)社会状況を反映しているだろう。食えることが当たり前であるために、当たり前を維持するための職業は「夢」にはなり得ず、食えるという前提に立って「夢」を探し出す。もしかすると、「食う」ことから遠いものほど「夢」と言うにふさわしい、という思想さえあるかも知れない。

 生徒がそのように考えるのは仕方がない。だが、学校でやるのならば、そのような生徒に迎合するかのようなことはせず、むしろ、農家、漁家や汲み取り、ゴミ収集といった、一見「夢」とはならないようなことに、実はすごい価値があり、社会貢献度の大きさという点で「夢」になり得るのではないか?と、生徒に揺さぶりを掛けていくことこそ必要なのではないだろうか?

 もう一点は「自衛隊」である。上記の職業それぞれに、「夢」を実現させたという生徒が1〜数名登場するのだが、自衛隊は最多の6名であった。迷彩服を着た生徒が6名登場すると、ステージ上にいる「その他大勢」の生徒が「かっこい〜っ!!」と声援を送る。6名のうちの1名が、「災害の時はすぐに助けに行きますよ!」(←内容は間違いないが、台詞が多少違うかも。脳の経年劣化で短期記憶が甚だ怪しいから・・・。)と胸を張る。それで終わり、だ。

 高校でも、自衛隊への就職を希望する生徒と面談すると、志望の動機として、東日本大震災の印象強烈だったためか、災害救助のことがまず話に出ることが多い。どうも小学校から高校まで、自衛隊がどのような組織か、ということを知らない、もしくは意識していない生徒は少なくないのではないか?自衛隊は軍隊であり、軍隊(少なくとも日本の自衛隊)は国を守るのが仕事とは言え、この場合の「守る」は殺し合いをすることなのだ、ということははっきりさせておくべきだろう。いくらなんでも、学校演劇で、「自衛隊=かっこいい=災害救助・・・おしまい」というのは浅はかであり貧しい。無知だとすれば許されないレベルの無知だし、自衛隊の本質を隠そうとしているなら悪質であり、自衛隊という存在に後ろめたいものを感じているに違いない、と思う。

 表面的な面白さや、観客の受けを狙っただけの演劇は学校には必要ない。ただただ皮相な価値観や感覚に流されていこうとする生徒達を立ち止まらせ、「ほんとうにそうなのか?」と問い直し、大切なものに気付かせていく、そのための教材であるべきだ。もちろん、学芸会の演劇だけではない。学校での学習の全てが、である。