巡り合わせということ



 全日制の卒業式が行われて二週間になるが、何しろこの学校は、卒業式に在校生が出席しないので、今更ながらに少し触れておこうと思う。

 一高の卒業式は非常に簡素であり、卒業証書授与式の後に行われる記念講演が重要なイベントである。聞けば、これに講師として招かれることが、OBとしての最高の名誉らしい。決して金にも業績にもならないこの作業に、既に世の中で功成り名遂げた名士が「名誉」と馳せ参じるのは、実に純粋な感じがしていいものである。

 今年の講師は元日銀副総裁・藤原作弥氏である。彼は自分の人生を振り返りながら、なぜ自分が日銀副総裁になったかを述べたが、決して俗なサクセスストーリーではなく、なかなか人生について考えさせるよい話だった。以下、そのあらすじ。


 高校時代、氏は数学があまりにも苦手だったため、当時、数学なしで受験できた東京外大に入った。その後、ジャーナリストになりたいという念願かなって共同通信社に就職したが、海外ニュースか文芸担当を希望したのに、なぜか経済部に配属となった。この時、自分は数学が苦手なので早々の退社を考えるが、生活の事情で辞められず、仕方なく仕事をしているうちに、経済が数学ではなく、人間の生活であることに気付き、にわかに面白くなった。アメリカ特派員を経験したりしながら、いろいろな勉強をしていたところ、ある日、日銀から声がかかった。


 講演会終了後、他の先生達と、結局彼はなぜ日銀に入ったのか、という話をしていたところ、ある先生が、それは「巡り合わせ」というやつだ、と言った。私は全くその通りだと思う。彼が日銀の副総裁になることを目指してではなく、その時その時の自分の問題意識に従って努力したことと、おびただしい偶然が積み重なったところへ、ある瞬間に、日銀副総裁という職がひょっこり現れた、ということだ。これだから人生は面白いし、「無心」ということには値打ちがある。氏の様々な活動は、それを日銀副総裁を目指してのものだと考えれば、「役に立たない」ものが多かったが、それらが結局、日銀副総裁になるために「役に立った」。日頃よく耳にする「役に立つ」とか「役に立たない」という価値判断のバカバカしさも、改めて感じた。