最終講義の感動



 先週金曜日の午後は、I先生、H先生の最終講義が物理講義室で行われた。定員92名の教室に、私がざっと勘定したところ、200名を超す在校生、卒業生、教員が集まり、熱気に満ちた会になった。私は、このような混雑を予想し、20分前に馳せ参じて教室の中央に席を占めることが出来たが、時間ぎりぎりで来た人の中には、部屋に入れず、あきらめて帰った人もいたようだ。私の知る限りで、最も遠くは京都からという大学生もいた。両先生への敬慕の念は強い!!

 とても感動した。一高に来て最も感動した時間だったようにも思った。両先生とも、感情の高ぶりを押さえきれない様子で、あれが二人にとってのベストの授業とは思わなかったが、私の感動は、次の点によっている。まずは、同業者として、こんなに幸せな定年退職の迎え方があるのかという一種の羨望。次に、放課後遅い時間に、この二人の話を聞くために多くの在校生、卒業生が集まって来ること自体への驚き。一高は○○大学に○人入るから一高なのではなく、このように知的欲求を持った人が沢山いるからこそ一高なのだ、としみじみ思った。そう、これが知的欲求であり、知的レベルが高いということであって、入試問題演習への欲求などは、猿がバナナを欲しがるのとあまり変らないレベルのことだ。最終講義にはそれなりの重みもあるが、通常の授業ではなかなか自由に行いにくい、学問的に深い話というのは、一高教師陣のほとんどの先生が出来ることだと思う。くだらない課外なんか止めて、そういう話で一高生の学問に対するロマンをかきたてた方が、生徒は伸びるのではあるまいか、とも考えた。

 さて、上で私は、あれは必ずしも二人のベストの授業とは思えない、と書いたが、それでも「知のI、情のH」という両先生の気質の違いはよく表れていて、その点にも面白さを感じた。もちろん「最終講義」というイベントが終わった今も、二人の先生の授業は続いている。諸君が直接知っているI先生の本当の最終講義は、明日の1年1組だ。