負ける「楽天」



 毎朝「楽天」はよく負けるなあ、と半ば呆れ、半ば感心しながら新聞を見ている。シーズンが始まった時には、もしかすると勝率5割で大穴だ、などと思っていたが、最近は「楽天」の勝率より低い打率の選手が何人出るか、という意地の悪い楽しみ方をするようになった。

 「勝つチームがあれば負けるチームもあるのは当然だ」とか「スポーツすることを通して人間として高まることが大切なのであって、勝負だけにこだわるのは貧しい。」とか、いろいろ言い訳は考えられるのだが、プロとなると、そうばかりは言っていられない。私達アマチュアのスポーツとは目的も次元も違うのがプロの世界だ。という訳で、負けの多いベガルタ(29日は珍しく快勝したが・・・)などを見ていると、ファンでない私でも「情けねえなぁ」とか「いい加減にしろよ」といった愚痴の一つもこぼしたくなる。

ところが「楽天」は違う。私は「楽天」が負ければ負けるほど、このチームを応援したいような気持ちが強くなってくるのである。なぜかと言うと、「楽天」対他チームの試合は、始めからフェアではないからだ。昨年「近鉄」が売りに出された時から、パリーグ5球団構想、楽天ライブドアの参入、最終的に「楽天」が成立したものの、なぜか「近鉄」の単純買収ではなく・・・という流れを思い出すと、「楽天」が弱い球団になった、つまり優秀な選手を獲得できなかったのは、強い立場の人々のエゴ以外の何ものでもないことが分かる。だから、「楽天」が負ければ負けるほど、私には「楽天」の不甲斐なさではなくて、プロ野球界の強者のエゴが意識され、「楽天」にはそれに耐え、立ち向かって欲しくなるのだ。

 もっとも、弱者「楽天」は、目下の宮城県においては相当に強い立場であり、それ故、県民の財産である野球場を自由に使い、アマチュアという弱者を抑圧する結果になってしまっているのは皮肉と言うほかない。どんな人も、自分のことばかり考えず、自分が周りにどのような影響を与えるかを意識しながら、より多くの人達が幸せな思いをすることが出来るようにしなければならないが、強い人には、影響力が大きいだけに、それがなおのこと強い義務・使命であるべきだろう。