山中少子化談義



 県総体期間中、私は予告通り、登山競技というものに引率参加していた。初日は雷雨で行動中止となったが、メインとなる二日目は、晴れてこそいなかったものの雨も降らず、むしろカンカン照りでなかったおかげで歩きやすく、一人の落伍者も出ずに、全員が、11時間を超える長丁場を完走できた。一人で静かな山歩きもいいが、他校の新鮮な高校生と和気あいあい、おしゃべりしながらの山歩きもいいものである。

 ところで、登山の大会では、他の種目と異なり、全ての教員が同じ所に泊り、生活を共にする。朝が早い(4時起床)のを気にしつつも、生徒が寝静まった後、どこかの部屋に集まり、四方山話に興ずるのを常としている。今回の二晩目、例によってガヤガヤと話をしていると、何かの拍子で、話が「少子化」の問題に及んだ。たまたま、子供を産むのは絶対に嫌だという既婚の女性教諭がその場にいたことなどもあり、五十代の先生方を中心に議論が白熱してしまった。

 私自身も、少子化についてはあれこれ思う所はあるのだが、口を挟む余地もないまま、彼らの話をぼんやり聞きながら思ったのは、人間という生き物は何と不思議なことか、ということである。他の生物の命は、全て食料を手に入れることと子孫を残すことにのみ費やされる。いや、食料を手に入れるのも、子孫を残すためには自分の命を維持してゆく必要があるからだと考えるならば、命は命を残すことにのみ費やされると言ってもよいだろう。子孫を残すことの是非が問題にならないのは当然のこととして、生きることの意味とか、生きていく上での夢とか、そんなことについても考えているとは思えない。考えないというより、その余裕がないのであろう。一方人間は、文明の発展によって食糧の余剰が生じ、心に余裕が生まれ、その結果、元々持つ必要のなかった様々な悩みを持つようになってしまった。そして今や、子供を作るという、直接本能に関わることですら、その意味を考えずには済まなくなっている。これが進歩、或いは進化だとは、私には思えない。

 ムカデが108本の足を見事に動かして進むことが出来るのは、足の動きを意識していないからであって、足をどのように動かすか考え始めた瞬間、足はもつれ、進むことは出来なくなる・・・という話(もちろん勝手な空想であって、そんなことが実際に起こることなどないのだが・・・)は聞いたことがないだろうか?どうやら、今の人間は、足の動きを意識し始めたムカデの状態らしい。