政治亡命への道・・・入管に捕まった友人



 先週の火曜日だったか、某友人から手紙をもらった。5月に私から手紙を送ってありながら、返事がないのをいぶかしく思い、また心配もしていたところであった。

 その友人とは、日本で政治亡命を申請中のビルマ人(あえてミャンマー人とは書かない)M氏である。10年ほど前、私がミャンマーを旅行中に、首都ヤンゴンの路上で偶然知り合った。もともとは、製紙工場の優秀な(と勿論本人は言わない。話の端々から推測されるのである)技師だったようだが、軍事政権の成立により、反政府活動を行って目を付けられるようになった。私と知り合った直後、危険が増したため隣国タイに出国。国外からミャンマー国内での反政府活動を支援し続けていたが、3年ほど前にとあるNGOの国際会議の折に代表として来日し、そのまま日本に滞在、政治亡命を申請しつつ現在に至っている。いかにもビルマ人らしい、温かさに満ちたジェントルマンである。年齢は50代の半ばにもなる。

 今年の5月、なぜか私の自宅ではなく、私の実家に電話があり、英語の出来ない私の母に対し「ダイジョウブデス」を数回繰り返して電話を切る、ということがあった。母からそのことを聞いて、私は、これは「ダイジョウブ」どころではなくSOSだな、と思った。しかし、M氏には電話がない。そこで、あわてて近況を知らせて欲しい旨手紙を出したところ、4ヶ月経ってようやく返事が来たという訳である。奇しくもその二日前、3連休だし、一度東京に捜索に行ってみようか、と妻と話していたところであった。

 その手紙に曰く、「今年3月、亡命申請を認めない旨の通知がありました。私はビルマ人支援団体の弁護士とも相談の上、日本政府に抗議し、私がビルマへ戻ることは非常に危険なので、政治亡命を認めるように改めて申し立てをしました。すると、品川の入国管理事務所から呼び出しがあり、出国する気はないかと聞かれました。私が、ないと言ったところ、数秒間の内に、まるで泥棒か強盗のように取り押さえられ、そのまま帰ることが出来なくなりました。日本のような大国が、このような理屈に合わない、乱暴なことをするとは信じられません。私がここ(入管の収容施設)を出られるのは明日かも知れませんし、来月かも・・・その次かも・・・その次かも・・・」(原文は英語)

 内容からして、手紙が検閲を受けた形跡はないが、何ともやりきれない気持ちで読んだ。そしてすぐに、私が東京へ行けば会える状態にあるのかどうか、という問い合わせの手紙を出したところ、金曜日に「釈放された」という短い電話が、そして土曜日に、今度は少しゆっくりと事情を知らせる電話があった。保釈金50万円を支払っての仮釈放だそうだ。日本のNGOが30万円、東京在住のビルマ人支援者達が20万円を出してくれたが、今から少しずつ働いて返さなければならない、入管から東京地区を離れることを禁じられているので仙台へは行けない、あくまでも政治亡命を認めるよう交渉する、というようなことをあわただしく話して切った。

 彼の家族は今もヤンゴンにいる。もう5年以上、一切連絡の取れない状態が続いている。しかし、M氏によれば、自分がビルマ国内にいることはあまりにも危険なので、お互いの無事を信じていることの出来る今の状態の方がいいのだそうだ。もちろん「いい」というのは程度の問題に過ぎない。

 彼が来日直後、私は一度彼を石巻に招いたことがある。この次はぜひ、私の勤務する学校で生徒に対して、M氏の見る国際情勢、M氏の人生や活動について語って欲しいと言ってあり、M氏も「大喜びで・・・」とは言ってくれているが、その壁はますます厚くなってきた。そして一方、私達のこの驚くほどに安穏とした、選挙に行くことすら「面倒くさい」となりかねない生活とは一体何なのであろうか、とM氏を見ながら、私はよく考えてしまうのである。