学べないことの重さ



 9月の話なので、かれこれ3週間も前の話である。前任校で一緒だったA先生の定年退職を祝う会というのに行った(というより私が主催者だったのだ)。

 参加者のスピーチに曰く、「A先生はいつも一番遅くまで学校で仕事をしていたが、これは別にまじめだったわけではなく、夫婦仲が悪くて家にいたくなかったからだ」「A先生は部活の遠征に行くと、すぐにベロベロ酔っぱらってしまい困った」etc, etc。ろくでもない話が沢山でてきた(断じてウケ狙いではない)。しかし、この後に続けて必ず「だけど、この人がやると腹が立たない」とか「逆にそんなところが魅力的でさえあった」となるのである。確かに、私の目で見ても、A先生のやっていることには実にいい加減でデタラメなことも少なからずあるのだが、一方、この人がいると集団の人間関係がよくなり、仕事がとてもやりやすくなった。これはひとえに、A先生のおおらかな人間性の為せるわざである。

 A先生の存在意義とか人間性というものを考えた時、私が恐ろしいと思うのは、どう考えても、それが「努力」によっては手に入りそうもないものであるということだ。努力で手に入るものは努力して手に入れればよい。しかし、魅力的でありながら、どのようにすれば手に入るのか見当がつかないものというのは始末に困る。そして、若い頃は努力によって全てが解決する、などと考えがちであるが、私くらいの年齢になってくると、むしろ努力によっては手に入らないもの(「人格」が典型)こそ実は人間にとって本質的に重要だと思うようになってくるものなのである。