言葉が壁の逆説



 今年も残す所あと12日。何となく落ち着かない時期であるが、あさって水曜日から4泊5日で韓国・光州一高との交流会が行われる。

 先週の木曜日は、教員有志による引率教諭3名の激励会(壮行会)が行われた。一昨年、友好関係を作ってゆくための打ち合わせで光州一高を訪ねたF先生が、盛んに体験を語っておられた。言葉の全く出来ない彼が、一人で光州へ派遣され、どのように交渉をしてきたかという話は今更ながらに面白かったが、彼がその中で語っていたのは、人間同士の付き合いは、言葉ではなく人間性の問題であり、それを実感するためには、本気で相手とぶつかり合い、自分をさらけ出すしかない、ということであった。

 思えば、これは何も韓国人、或いは外国人を相手にした時だけのことではなく、人間付き合いの最も普遍的な真実に違いないが、言葉の通じる人を相手にした時には、人間性(心)ではなくて、言葉でお互いを理解し合えるような誤解をしてしまうために、そのことに気付きにくいものらしい。言葉の通じない、文化の違う、全く知らない所へ行くことは、自分をリセットして、認識や思考を純粋にするのにいいことだ、と思った。