冬季オリンピックの号外



 先週の金曜日、所用で街へ出ていて、多分、生まれて初めて「号外」なるものをもらった。女子フィギュアスケートの金メダルである。私は、メダルなんかもらわなくても、「世界で10位」とか「日本代表」というだけで十分尊敬に値すると思っているので、メダル、メダルという声は、むしろ価値を矮小化するようで好きではない。一方、「代表」とか「入賞」とか「メダル」とかに手が届かず、自分なりに精一杯努力しながら「無名」のまま消えていってしまったであろう多くの人々の心境もあれこれ想像してしまう。手にした「号外」に目を通しながら、気分は複雑である。

 ともかく、最後に立派な結果が得られる可能性は非常に低いにもかかわらず、全てを投げ出して努力するというのは大変なことで、大抵の人は、必ず何かの予防線を張ったり、言い訳を用意したりしてしまうに違いない。少なくとも、メダリストや代表というのは、そういうことをしなかった人のはずである。私は彼らのそのような強い覚悟というものに、彼らの残した結果以上に迫力を感じ、畏敬の念を抱くのである。