岡崎高校に学ぶ



 考査の初日、この数年恒例となった仙台一高教員研修会というものが行われた。例によって私は、受験などということを天下の大問題のように考える気にはなれないなぁ、しかもそれを人生の問題としてではなく、数字の問題、ビジネスとして扱っていそうな雰囲気は好かんなぁ、とぼやきつつ、斜に構えての出席であった。

 約2時間話を聞き、残念ながら(?)面白かった。今年登場した愛知県立岡崎高校とは、諸君も知る通り(?)、今年公立高校で東大合格者数全国1位(現役22名、浪人14名)となった高校である。他にも、名古屋大学(現72、浪27)他、1学年320名中、旧帝大+東工・一橋+早慶に現役でのべ128名が合格したという、一高とは全くスケールの違うスーパー進学校である。お出ましになったのは、そこの進路部長。

 冒頭、中京テレビで放映された岡崎高校の15分番組が上映された。その最初の方で校長へのインタビューがあり、私はそれが全てを語っていたと思う。

 インタビュアー「岡崎高校は、どうしてこんなに素晴らしい進学成績を上げることが出来るのですか?」

 校長「・・・(沈黙)・・・どうしてって、何か特別なことをやっているわけではないのですが・・・(沈黙)・・・あえて言えば、当たり前のことを丁寧に、そして徹底的にやるということじゃないでしょうか・・・」

 その後の映像を見ていると、正にその通り。生徒は予習復習をきちんとやり、チャイムが鳴る前に準備を完了して先生を待ち、分からないことは質問に行く、先生はやはり授業の準備をしっかりとやり、さまざまな情報の収集・分析にもぬかりがなく、生徒の疑問に答える・・・。

 比べて申し訳ないが、一高はチャイムが鳴ってからやっと授業の準備が始まり、教科書を持って来ない生徒が必ずおり、一方の私も、授業準備はどのように評価して良いか分からないが、つい先日、夏休み明けの校内模試で私が作問した二次型漢文の問題文が、2000年度の東北大入試問題とすっかり重なっていたことに気付いていなかったことが発覚して、ショックを受けたところであった。

 そうなのである。世の中にある難しいことというのは、本当に難しいことなのではなくて、単純・平凡はことを徹底的に実行することの難しさなのだ。いい研修だった。