卒業生からの便り



 先々週、先週と立て続けに、あまり事務的でない葉書とメールが卒業生から届いた。

 まずは葉書。これをくれたのは、私が8年前に前任校で3年生の時に担任したK君。某国立大学の医学部に進み、このたび、めでたく医師の国家試験に合格、「ご挨拶」という訳だ。高校時代から生真面目だったK君。生真面目と言えば、概してガリ勉が思い浮かぶし、そういう人は大抵卒業後は連絡など寄越さないものだが、K君は生真面目ながらも幅の広い趣味と社会的関心を持ち、毎年欠かさず年賀状で近況を知らせてくれていた。この葉書は、簡潔ながらも国家試験に合格したばかりの研修医の生活や、そこで直面する医療問題などがよく述べられている。


「私はおかげさまで先の医師国家試験に合格でき、4月から○○市立病院に勤務しています。最初の2年間は初期研修ということで、内科・外科・小児科など様々な科を回ることになっています。現在は呼吸器内科を回っており、入院患者さんの回診、カルテ記入、採血など、仕事をこなすのに精一杯です。仕事とは言っても、疾患の勉強が多く、学生の感覚が抜けません。指導医の話では、医療訴訟や医師不足の話題が多く、自分の世代の医師にはかなり厳しい現実が待っているようです。また、患者さんのほとんどが高齢者で、完治できない方が大勢います。そういう方々と医療者がどう向き合うか、どこまで治療するか、は医療費の問題も関係し、なかなか難しい課題ですね。」(全文)


 もう一つ、メールは今春卒業して某国立大学に進んだH君からのものである。私よりも、むしろ諸君に語りかけているものなので紹介するが、私もH君と同様、大学に入った時には、「大学生はよく遊ぶ」というのはどこの話なのだろうか、とカルチャーショックを感じた記憶がある。少なくとも私の場合、大学の先生からは何も強制されなかったが、周りの友人がよく勉強しているので、常にプレッシャーを感じ、勉強せざるを得なかった。H君からは、この後、自分が今どんな勉強をしているかの例として、文化人類学のレポートが送られて来た。ワープロ打ちA4版7ページという堂々たるもので、内容的にも立派なものであった。勉強などというものは、本来受験が目標ではないのだから、こういう話を聞くと、彼が大学に合格した時よりもずっと嬉しいものだ。


「先日はいろいろありがとうございました。今日は特に用事はないのですが、先生が一年生の担任をしているということで、後輩たちに是非伝えてほしいことがあります。それは大学に行ったら勉強をしなくてもいいという幻想についてですが、僕が大学に来てからの一ヶ月間、高校にいた頃と比べて3倍以上は学問をしている時間が長いと思います。それはただ単純に机に向っている時間が長いというわけではないのですが、やはり外国語の勉強は机でしますし、手書きやパソコンを問わず、明らかに高校時と比べて、文章、それもある程度長い文章を書く機会は多いです。勿論、先生もそこらへんは口を酸っぱくして生徒に言っていることとは思いますが、最近僕は本当にそう感じることが多いので、先生の実感としてお伝え下さい。」(部分)