参議院選挙とナチスの教訓



 今月は参議院議員選挙が行われる。選挙の最大の争点は年金問題、次が景気対策だそうである。昨日の『河北新報』に載っていた、立候補予定者に対するアンケートによれば、なんと89%の人が、年金問題等の社会保障改革を最優先課題に挙げていたというから驚く(ただし、三つまで選択可のアンケートだから、その他の課題全ての合計が11%という訳ではない)。

 私などは、危ういなぁ、と思う。年金をがっちり保障し、景気対策で成功すれば、後は何をやっても許されるという状況が生じかねないからである。選挙のたびに私が思い出すのは、かつてのドイツで、なぜナチスが政権を取れたかという問題だ。第一次世界大戦で疲弊しきったドイツ経済を立て直すのに有効な施策(アウトバーンの建設とか、大衆車=フォルクスワーゲンの生産とか)をどんどん打ち出し、それに酔いしれた人々は、ナチスが恐るべき人種差別思想と野心とを持つ政党であることを軽視した。ナチスは圧倒的な数の議席を、極めて「民主的」な選挙によって獲得し、ナチスに人々が反抗できないシステムを確立させたところで本性を表し、それがやがて600万とも言われるユダヤ人の虐殺と、ドイツの破滅に結びついた。ナチスは、決してヒトラーの話術だけで政権を取ったのではない。

 人間は目先の利益に非常に弱い。それは利己的になるということでもある。目先の利益に目がくらんで、直接お金に結びつかないもの(教育・文化、人権、モラルや人類にとっての幸せなど)をいい加減にすると、将来「目先の利益」とは比較にならないほど大きなダメージを受けるというのが、私にとっての「歴史の教訓」である。私が、入学式の日、諸君に「本物のエリートとなれ」と語り、そのために「利益ではなく真理を追求しろ」と言ったのは、そのことと深く関わる。