文系・理系の本質



 高校における文理選択は、至って便宜的・形式的なものだ。それは、大学入試で数学3・Cと物理を使うかどうかだけの問題だ。つまり、文系と理系なのではなくて、「数3・Cと物理を使う系」「使わない系」であり、それらが必要なければ、理学部や工学部希望者が文系クラスにいても何ら差し支えはない(私大を中心に相当数あるはず)。しかし、諸君が自分の適性を考えながら、「俺は文系だ」「私は理系だ」と言う時には、また少し違った観点が必要だ。

 ズバリ「文系は人間について考え、理系は自然について考える」これが原則だろう。この原点を見失ってしまうと、一体自分は何のために学んでいるのか分からなくなり、際限なく無味乾燥な、重箱の隅をつつくような学問に落ち込んでしまうのではないだろうか。自分が興味を感じるのは人間なのか、自然なのか、そんな観点で考えてみよう。

【裏付け余談】・・・元日銀副総裁、経済を語る

 一高の卒業式には、送辞も答辞もない代わりに、記念講演なる格調高い催し物がある。講師は必ずOBで、これに呼ばれることが卒業生として最高の名誉だということだ。さて、2005年、やって来たのは元日銀副総裁・藤原作弥氏である。彼は自分の人生を振り返りながら、なぜ自分が日銀副総裁になったかを述べたが、決して俗なサクセスストーリーではなく、なかなか人生について考えさせるよい話だった。以下、そのあらすじ。

 [高校時代、氏は数学があまりにも苦手だったため、当時、数学なしで受験できた東京外大に入った。その後、ジャーナリストになりたいという念願かなって共同通信社に就職したが、海外ニュースか文芸担当を希望したのに、なぜか経済部に配属となった。この時、自分は数学が苦手なので早々の退社を考えるが、生活の事情で辞められず、仕方なく仕事をしているうちに、経済が数学ではなく、人間の生活であることに気付き、にわかに面白くなった。アメリカ特派員を経験したりしながら、いろいろな勉強をしていたところ、ある日、日銀から声がかかった。]

 私は、経済の本質に気付くまでの彼の回り道が、決して無意味だとは思わない。人間は、一見無駄な回り道をしてから気付いた時にこそ、その「分かった」が本当の力を持つことも多いからだ。しかし、氏が文系の原点に無知であったために、不必要に嫌な思いをしたと言うことも可能である。前の話と合わせて一考してみよ。