SLの衝撃



 週末は、持ち帰り仕事さえない純粋な連休であった。私は二日間、童心に戻って蒸気機関車(SL)の追っ掛けをしていた。地元・石巻線に、33年ぶりとかでC11なる蒸気機関車が走ったのである。

 私は、物心付いた頃には、日本中のごく一部を除いてSLが消滅していたという世代なので、ノスタルジーなどあるわけもなく、また人が群がる物には背を向けたくなるという太宰のような人間なのだが、二日間、車で追跡して通過を四回見送り、駅のホームで「ねぢよりたちより」二回も見入っていたのだから病気である。

 1982年に中国で、初めてSLというものを間近に見て衝撃を受けたのがきっかけであった(今では、中国でもSLはほとんど存在しない)。この巨大な鉄の塊は、呼吸していて、ひどく人間的なのである。汽笛の音も温もりがあってよい。駅で静かに呼吸をしている音を聞いていると、あまり気の合わない人よりは、むしろSLの方に親しさを感じるほどだ。これに比べると、エンジンやモーター、新幹線や電気機関車の汽笛(列車でも「警笛」が正しいのかな?)の愛想のなさはお話にならない。

 SLというのは、文明がまだ人間的な、言い換えれば、文明に人間が振り回されるのではなく、人間が文明をコントロールできていた時代の、頂点に位置する成果のように思われるのである。とすると、私の気持ちは、SLに対してとばかりは言えないものの、やはりこれはこれでノスタルジーなのかも知れない。