食の不祥事



 雪印不二家白い恋人たちミートホープ赤福比内地鶏船場吉兆・・・余りに多すぎて訳が分からないほど、食品関係の不祥事が続く。食品以外でも、諸君の大先輩たる某元防衛事務次官の賄賂(めいた)話もなかなかのスキャンダルだ。これだけ続くと、もはや彼らだけの問題ではなく、「豊かさ」「豊かさ」と言いながら、「利益」というものに浅ましくなりすぎている世の中全体の構造的問題であろう、モグラ叩きだけではどうにもなるまい、と思う。

 さて、そのような過度の利潤追求の問題や、ルールを守る守らないという問題はちょっと置いておいて、今日は、食品に関する不正について少し別なことを考えてみたい。

 私が不思議なのは、「最近は赤福もまずくなった」とか「比内地鶏もただの鶏だな」などと言われるようになっていた、という話もなく、それらを食べてお腹が痛くなったとか、下痢をしたとかいう話も聞かない、ということだ。だとすれば、そもそも賞味期限とか消費期限とかいうものの基準が厳しすぎる、ということはないのだろうか。赤福社長の記者会見によれば、赤福が再処理していた餡の量は、月に3〜4tに上ったという。食の安全は確かに大切だが、食糧自給率が僅か40%というこの国で、万全を期するために、それら全てを廃棄することが許されるとは到底思えない。

 もう一点、人間は、それが美味いかどうか、食べられるかどうかについて、元々自分の感覚で判断していたはずである。自分の感覚に問うことを止め、「表示」とか「データ」を信じるというのは、自分が全く感動しないピアニストの演奏を、そのピアニストが有名なコンクールで賞を取った人だからという理由で、感動的だと自分に納得させようとするのと同じことだ。これが倒錯でなくて何であろうか。

 などなど・・・あれこれ考えながら、手厳しいマスコミに対してますますしらけていく私であった。