学ぶことの喜び



 我が家のことでいささか気恥ずかしいが、幼い娘が、最近数字というものにとても強い興味関心を示している。何をしていても気になるらしく、人の車のナンバーやら広告に書かれた物の値段(8ばかり登場回数がやたらと多い=笑)やらを見ては、読める所から「あっ3だ」とか「8だ」とか言っている。1から順に数えさせると、何とか30くらいまでたどり着くようになった。

 彼女は、それらの数字(または、それを読めるということ)にどんな意味があるかなど、全く考えてはいない。ただ、常に見ているものの中に「数字」と呼ばれる記号のグループがあることは分かっていて、それがひとつずつ読めるようになることに純粋な喜びを感じているらしい。学ぶことの原点だなぁ、とそれを見ながらいささかの感動を覚える。すなわち、人間にとって、未知が既知に変ることは、ただそれだけで嬉しく楽しいことであり、従って価値のあることなのだ。

 この連休、例によって私は答案の束を家に持ち帰り、ひたすらいつもの悪戦苦闘をしていた。出来不出来にはもちろん大きな個人差があるが、「もう古典は勘弁して下さい」みたいな答案を見るたびに、私はそんなことを思い浮かべた。