JR東日本と技術



 卒業式が無事終わった。今年は、例年見られるパフォーマンスや有志演説もなく、本当に静かな式だった。

 「正直に、謙虚に、ものごとには熱意を持って当たれ」という校長式辞の後、記念講演に登場したのは、社員63000人、年商2兆円の巨大企業・JR東日本の社長・清野智氏であった。この講演に講師として呼ばれることがOBとして最大の名誉だというだけのことはあって、毎年なかなかの大物がやってくる(一高を卒業すれば大物になれるというわけではない。OBに大物がいるから一高生は偉い、ということにもならない。くれぐれも誤解なきように・・・)ので、私はいつも楽しみにしている。

 今年の演題は、上の見出しの通りで、実際60分の講演時間のうち45分くらいは、JR東日本がどんな新技術を開発し、実用化してきたかという説明に費やされた。ここで、その具体的な内容に触れる余裕はないが、私が面白いなあと思って聞いていたのは、技術はもとより、氏が技術開発を語るに当たって、多く「我々」という主語を使っていたことだった。

氏は法学部の出身者であって、いわゆる技術者ではない。しかし、いかなる技術が開発されたとしても、それを経営の中でどのように生かしていくかは技術者の仕事ではないし、方向性を見極めて、どの分野の技術開発に集中投資をするかという判断も、技術者によってなされているわけではない。その意味で、技術は技術者だけのものではない。「我々」には、氏が社長だからというだけではない、それなりの大切な意味が込められているように感じた。世の中というのは、いろいろな分野の人が、それぞれの力を発揮することによって初めて全体としてうまく動いているのだ、ということを感じさせられた。