文化の質はかけた手間暇に比例する



 入学後、早い時期に諸君に語ったことの中から、いついかなる場面においても重要なことだと思われることを復習して、学年末のメッセージに代えようと思う。「文化の質はかけた手間暇に比例する」という、世に有名な(?)「平居の格言」の一つである。

 Culture(文化)という言葉の意味は、Agriculture(農業=畑の文化)という言葉の意味を考えてみるのが分かりやすい。形と味が良い(=高い値段で売れる)リンゴを収穫するためには、良い種と良好な自然条件と、手を掛けることが必要だ。リンゴを文化と考えるならば、文化はそれを創り出す人間の素質と環境と努力とによって価値が決まる、と言える。素質と環境のほとんどは、とやかく言っても仕方がない(問題があっても変えられない)ので問題にしないことにする。そうすると、文化の質というのは努力によって決まるということが言える。これは、歴史に残るような優れた成果だけではなく、平々凡々な一人一人の身に付ける価値においても同じことが言える。

 立場上、勉強の仕方というものを尋ねられることが多い。しかし、最近は真面目に答えなくなってしまった。なぜなら、そういう質問をする人は、勉強の仕方が分からないのではなく、楽な勉強の方法を探しているだけだということが、よく分かってきたからである。楽な勉強の仕方があれば、私自身が教えて欲しい。小学校入学以来40年近く、色々なことを「勉強」してきたが、いまだに、何かを始める時には、もう少し楽な方法無いかなあ、と思いながら、本を読み、辞書を引き、ノートに写し、カードを作るといううんざりするような作業をするしかないのである。もちろん、勉強に限った話ではない。

 高い価値を持ったものは苦労をしなければどうしても身に付かないというのはやっかいだが、別の言い方をすれば、手間を掛ければ高い価値を持ったものは確実に身に付くということでもある。もっともっと苦労せよ、若者!!