『醜い中国人』



〈裏面:4月30日毎日新聞 柏楊氏の訃報引用〉

 訃報である。知っている人など、高校生でなくてもほとんどいるまい。

 諸君が生まれるより前の話・・・私は中国・上海の某書店で、何か面白い本ないかなあ、と平積みにされた本をパラパラめくっていた。私が見ていたのと同じ本を手に取った男に、「この本は面白いのか?」と尋ねたところ、「多分面白い。しかし、政府が歓迎していないため、沢山カットされているのだ」という返事が返ってきた。共産党の検閲というやつだな、と理解すると、がぜん好奇心が湧き起こり、1冊買った。男に、「ノーカットのものは、外国でなら手に入るか?」と尋ねると、「台湾なら売っている。香港にもあるだろう」と言った。幸い、この後、私は→広州→香港→台湾と回って、日本に戻ることにしていた。ノーカット版は台北で買った。帰国してから、検閲の実態=中国政府の思想が知りたくて、丁寧に比較しながら読んだ。しばらくすると日本語訳(『醜い中国人』1988年光文社、このタイトルは前沖縄県知事大田昌秀著『醜い日本人』1968年サイマル出版会、のもじりである)が出た。

 今日は、諸君の向学のために、当時の(←あくまでも1980年代半ばの当時である。今も同様かどうかは丁寧な検証が必要)中国政府の検閲の一端を紹介する。なお、【 】の部分が中華人民共和国内版で削除されている部分であるが、なぜこの部分が中国政府には気に入らなかったのか、というだけではなく、なぜ他の部分は問題ないのか、ということを同時に考える必要がある。


 「中国人は、決して素質が悪いのではない。中国人の資質は、中国を健康で美しい世界に導いていく能力を持っている。われわれはそれを達成する資格を、十分持っている。われわれは、中国がかならず立派な国になると信ずる理由を持っている。

 【しかし、われわれはかならずしも、われわれの国家が強大になることを希望する必要はない。国家が強大にならなくても、人民が幸福でさえあればそれでいいのだ。人民が幸せになってから、次に強大を求めても遅くない。】

 それなのに、数百年来、中国人が苦難の海から脱却できないのは、いったいどんな原因によるのだろうか。

 私は、中国の伝統的な文化の中に、一種の病気のウイルスがあるからではないかと思う。われわれは、子々孫々、そのウイルスに感染し、いまだにその病気が治らないのだ。

 私がこの話をしたら、ある人がこう言った。

 「自分自身が悪いのに、なぜ、祖先のせいにするのか」

 私は別に、責任を転嫁しようとしているわけではない。(中略)われわれは、われわれの父母を責めているのではない。もし、われわれが責めるとすれば、われわれの祖先が、われわれにこんな文化を残してくれたことなのだ。

 【広大な国土、世界の四分の一の人口を持つ大民族でありながら、中国人はこんな貧困と愚昧、残酷な争乱などの流れに陥って、浮かび上がることもできない。私は外国の人間関係を見て、非常にうらやましいと思う。】

 われわれの伝統文化が、現在のような現象を生み出し、われわれ中国人に多くの恐ろしい特徴を与えたのだ。」(張良澤・宗像隆幸訳)