からまれる



 たいした話ではないのだが、今夏の中国のひと場面を書いておこう。

 場所は武漢の傅家坡バスターミナル前の地下道に下りる階段である。私の左腕(肘)が、すれ違いざまにほんの少しだけ誰かの手と触れた。L字型になっている階段の真ん中あたりで、私と腕が触れあった人の姿はもう見えない。中国なんて、どこへ行っても湧いてくるように人がいるわけだから、体と言わず、荷物と言わず、触れる、ぶつかるなんて日常茶飯事である。しかし、この時は閑散としていた。折れ曲がった階段の向こう側から、「ちょっと待て!!」と大きな声がした。私が呼び止められたことには気付いたが、面倒くさいのでそのまま行ってしまおうと思った瞬間、もう一度、「ちょっと待て、って言ったんだよ!」みたいな声が聞こえた。走って追い掛けてこられるとかえって面倒なので、私はやむを得ず足を止めた。引き返してきた男が、私の目の前に現れた。60くらいで、皺だらけのカッターシャツを胸をはだけて着ており、胸と顔にものすごい汗をかいていた。さほど危険な目はしていないが、この手のチンピラは、何かのきっかけで突然目付きが変わるので油断できない。

 男は、「お前いったいどこ見て歩いてんねん」(←その場の雰囲気をうまく表そうとすると、なぜか関西弁になってしまう=笑)と絡んでくる。「見てみぃ。俺は腕にケガしとるんじゃ」。男は私に接触した方の腕を差し出した。手首から5センチくらい上の所に、血の滲んだ薄汚れた包帯を巻いている。本当にケガをしているのかどうかは分からない。仕方が無いので、私はとりあえず謝った。外国では、謝ったら自分の非を認めたことになるから安易に謝ってはいけない、という話はよく耳にするが、日本人というのは、とにかくまず謝る、という本能に近い反射を持っていて、それから自由になることは難しい。穏やかな日本人は、些細なことであれば、お互いに謝ることで、なんとなく円満に場を収めることができると思っているのだ。

 男は、大きな声で何かをまくし立てている。もはや私にはまったく理解できない。どうもうまく会話が成り立たないことに気付いた男は、「言うとることが分かっとるんか?」と尋ねる。そこだけ分かった私は、「少し分かるが、ほとんど分からない」と答えた。その後男は、少し話すと、「分かるか?」といちいち聞くようになった。

 ここで私は少し考える。男の話に分かることが含まれていても、とことん分からないことにしてしまった方がいいのか、分かることは分かるとした方がいいのか?男はまだ気付いていないが、やがて私の理解力が低すぎることに気付くだろうから、その時、私は日本人であることを明かした方がいいのか、韓国人にでもなりすました方がいいのか?といったことを、である。

 後者は難問。昔の中国は、国民が外国人との間でトラブルを起こすことを、政府が非常に嫌っていた。どちらが悪いかに関係なく、外国人とトラブルを起こした中国人は面倒な思いをすることになる。だから、私が日本人であることを明かしてしまえば、中国人の側から身を引くことが予想できた。しかし、中国人の9割が日本人を嫌いと答え、反日デモや日系商店の襲撃でさえも、政府が見て見ぬふりをするご時世である。日本人であることを明かすことは、火に油を注ぐ結果にもなりかねない。思案しながら、延々と続くわけの分からない話を神妙に聞いているふりをしていた。

 「ごめんなさいって言えば済むんかぁ?悪い思とんやったら、何かお詫びの仕方ってものがあるやろ?お詫びだよ、お詫び・・・」「そうだな、タバコのひと箱くらい寄越すとか・・・それくらい考えつくだろ?」

 突如、こんな内容の言葉が耳に止まった。タバコひと箱でこの面倒から解放されるなら、取引として決して悪くないな、という気持ちがふと兆した。

 男は例によって「分かるか?」と聞くので、私はこの部分だけは分かったことにし、「分かった」と答え、「タバコはひと箱(中国語で盒)だな?1カートン(中国語で套)じゃないな?」と3回くらい念を押した。男も「ひと箱だ」と繰り返した。タバコを吸わない私は、タバコの値段を全く知らなかったのだが、せいぜい10元(170円)もあれば十分だろう、と勝手に想像した。それでも、安い食堂で1食食べられる金額である。物価が高くなったとは言っても、まだ日本よりも多少は安い中国においては、値段を倍にすれば日本の感覚に近付く。つまり、10元とは350円くらいが実感である。

 私は男に、タバコ屋に行こう、と言った。歩きながら、私は「なかなかあなたの言うことが理解できず申し訳なかった。私は中国を旅行中の日本人なのだ」と言った。男は一瞬足を止め、私の顔をのぞき込んで、「日本人?!」と驚いたように聞き返した。私は、失敗したかな?と思ったが、男の心の中で何が起こったかを、男の表情から読み取ることはできなかった。男はすぐに歩き出して、近くのタバコ屋に行った。

 私が、「あなたが欲しいのは何というタバコか?」と尋ねると、男は「黄鶴楼だ」と答えた。男が指さした緑色のタバコの箱を見て、私は仰天してしまった。そこには「60元」と書いてある。5〜6食分、宿泊費の半分だ。どうやら中国製の最高級タバコらしいが、日本のタバコよりも箱は小さいし、こんな値段のタバコが存在すること自体が驚異であった。このくだらないトラブルを収めるための経費としては高すぎる。私は心の中で、ふざけるな、と思った。「面倒くさい」が「こんちくしょう」に変わった。

 憮然とした表情で、私は「こんなに高いタバコは買えない」と言った。男はほとんど表情を変えずに、「だけど俺にぶつかったやろ?」というようなことを言った。「ぶつかったって言ったって、ほんの少し触っただけだ。」「ぶつかったよな」・・・。

 タバコ屋のおばさんが、いぶかしげにこちらを見ている。私は「察してくれよ」と、すがりつくように彼女を見たが、おばさんはじっと見ているだけだった。私は最後の手段に訴えることにした。閑散とした、二人きりの場所では使えない手である。バスターミナル近くの、それなりに繁華な場所なら使える。

 「もう話し合いでは解決しない。公安(警察)に行って相談しよう。」

 期待したような恐れの表情を浮かべることはなく、「おう、分かった」と男は言ったものの、次の瞬間、「30元のタバコならええか?」と一気に半額に値切ってきた。60元という不当な要求で少し頭にきていた私は、「ダメだ」と答えた。「20元ではどうや?」「ダメだ」「分かった。もういい。あとは気ぃつけえよ」。

 タバコ屋に行くまでのごたごたには(多分)10分近くかかっているのに、ディスカウントが始まってからは10秒あまりで決着が付いた。幕切れのあっけなさに、私は驚いた。私が右手を差し出すと、男も手を出した。握手をすると、男は何事もなかったかのように、すーっと去って行った。

 男の心を動かしたのが「日本人」なのか「公安」なのか、それ以外のことなのかは分からない。面倒から解放されて少しホッとはしたが、あまり後味は悪くなかった。話がとことんこじれなかったのは、結局、人間同士のフィーリングだったのではないか、という気もする。ひとつの言葉でも、それがどのような反応を生むかは「運」である。たまたま、この時は何かがプラスの方向に作用したのだ。人間相手のトラブル、ましてそれが言葉のよく通じない所で起こると難しい。

 対日感情を心配していたが、日本人であると言って、ニコッとされることはあっても、厳しい視線を浴びせられることは一度もなかった。私が多少中国語を解するということはあったかも知れないが、個と個のレベルでは、国家とか集団とは違った価値観が存在するのだ、ということも感じさせられた。こんな街のチンピラでさえそうだった。南の島をめぐる争いで、「中国」を嫌うことはあっても、「中国人」を憎んだりはするまい、と思った。