中国の長老

 もはや3日も前の話になるが、この石巻でも震度6弱地震があった。私は入浴中であったが、確かに経験したことがないような強烈な揺れで、しかも長かった。東日本大震災の時はゆさゆさという揺れだったが、今回はガタガタという揺れで、浴槽の湯はあふれるほどにはね、家が壊れるかと思った。私が経験した自身の中では、最も強烈だったような気がする。
 ところが、我が家の丈夫さもさることながら、そこはさすがに日和山(→参考記事)。停電することも断水することもなく、揺れが収まって見てみれば、我が家の被害は頭でっかちの一輪挿しと、床に置いてあったワインの瓶が2本倒れたのと、書架に腰掛けさせてあったバリ島土産の釣りをする猫の置物がひとつ落下したのとだけであった。
 翌日、電車が動かないので、車で学校に行ってみれば、こちらも地盤強固なはずの場所に建っているにもかかわらず、システム天井の接続部品が落ちたり、天井や壁が剥落していたりと、校舎立ち入り禁止には至らなかったものの、それなりの被害が確認された。
 話は変わる。
 昨日の読売新聞に、中国の元首相・朱鎔基氏(93歳)が、習近平国家主席3期目突入に異を唱えたという記事が出ていた。なんでも、習氏の政府や国有企業優先政策に疑問を呈し、今秋に予定されている中国共産党大会での習近平選出に反対しているのだとか。記事では結びとして、次のように書いている。

「中国では建国の父、毛沢東が個人独裁を強めた結果、経済政策の失敗などの弊害が起きたため、鄧小平時代に集団指導体制が構築された。党の長老の間では、習氏への権力集中を懸念する考え方が強いとされる。」

 なぜこのような情報が漏れ伝わってきたのかは知らないが、この報道が正しいとすれば、なんとなく世の中に明るいものを感じることができる。歴史の教訓からすれば、確かにそうなのだ。毛沢東に対する個人崇拝が確立し、毛に誰も文句を言えなくなった結果として、大躍進政策では三千万人以上とも言われる餓死者が発生し、文化大革命では、二百万人以上が死に、七百万人に障害が残り、1億を超える人が政治的迫害を受けたとされる(中兼和津次『毛沢東論』名古屋大学出版会による)。習近平政権で採択された「歴史決議」において、毛は失政のマイナスより建国のプラスの方が大きかったと評価はされたものの、建国のメリットと比べながら、かろうじて差し引きプラスと評価せざるを得なかったところに、中国の苦衷を感じる。私などが建国後の中国を見ていると、そもそも建国の理念って何だったの?個人崇拝ってこれほど恐ろしいものなの?と強く思う。
 朱鎔基氏の心の中に、ウクライナ侵略を始めたプーチン体制のことがどれだけ意識されていたかは知らない。朱氏の指摘が権力の強大化そのものではなく、具体的な政策の問題であったことは、言い方としては上手だと思う。いずれにしても、権力の極度の集中と持続が人間社会にとって危険極まりないという認識は正しい。
 私はかつて、古賀誠野中広務という二人の自民党長老について、それぞれ一文を書いたことがある。決して上品には見えず、むしろチンピラの親分風で印象よろしくない二人が、実は戦争の経験者として、自民党に良いブレーキをかけていることを評価した文章だ(→古賀誠、→野中広務)。
 人間が歴史の勉強によって賢くなることは難しい。自分の経験の範囲からなら学べる。世の中の暴走がひどい時、長老の価値は輝く。