自衛隊とは何か



 「衣替え」である。先週は寒い日が続いていたので、実感が湧かないなぁ、と思っていたところ、昨日から少し気温も上がり、それなり、になってきた。夏服は見た目が爽やかでよい。

 それはともかく、先週、私とは比較的親しい某教諭が、1泊2日で横須賀へ、防衛大学校及び自衛隊の見学研修に行った。自衛隊(防衛大?)から誘いがあり、卒業生が何人か防大に入っている手前、断るのもはばかられた、とのことであった。施設の中はほとんど見せてもらえず、広大な敷地の中をひたすら歩き回って建物を見ながら説明を聞くという、肉体的に大変な割にあまり面白そうには思えないご苦労な出張だったようだ。

 時代も変わったものだとしみじみ思った。私が教員になった20年前なら、こんな出張は大きなもめ事になったと思う。今や、高校生諸君が聞いても「なぜもめごとになるの?」といったものだろう。職員の中でも眉をひそめる人なんて誰もいない。昔は、自衛隊に誘われてのこのこ見に行くのは、自衛隊の存在を容認することであり、それは日本の軍事化を肯定することにつながりかねないという警戒感があった、ということだったと記憶する。思えば、同じく先週、中国四川省へ救援物資を運ぶのに自衛隊機を飛ばすとかいう話があった。結局、ナシということにはなったものの、それが、当初、中国政府から持ち出された話(「自衛隊機も含めて派遣を検討して欲しい」という言い方だったか・・・?)と聞いて、なおのこと驚いた。

 現代において自衛隊若しくは軍隊とは何か、それはどうあるべきか、という掘り下げが行われた結果、上のような変化が起こったのなら問題はないかも知れない。しかし、そうではないだろう。自衛隊のように、創立以来戦争をしたことのない軍隊が、強力な軍事力(殺傷力)を持つにもかかわらず、戦争と結びつかない無色透明な存在となり、その一切について疑念を持たれなくなり、「時代の変化」という得体の知れない言葉でごまかされてしまうとすれば、非常に危ういのではないだろうか。「○○とは本来どういうものか(どうあるべきか)」と考え、現実とそのズレを見つめ、どれだけ現実に合わせ、また現実を合わせるのかという、基本的ながら難しくも大切な思考パターンの真価が問われる練習問題だ。