朝自習と模試の過去問



 今年度、朝自習(モニプリ)なるものが始まったが、国語科は参加しなかった。今週末は模試であるが、やはり国語科だけは過去問の配布を見送った。

 「朝自習、国語科は参加しないよ」と言った時、諸君から拍手までもらったものの、こちらの意図がどれだけ伝わったかは怪しいし、過去問のこともあるので、簡単にここで確認しておこうと思う。掘り下げれば、今の教育のあり方や学ぶとは何か、ということにまで関わる問題である。

 1:拡散ではなく収斂を

 生徒自身も、学校も、やることをどんどん増やす傾向があるが、私たちはそれをよいことだとは思っていない。中間考査でも、ごく限られた範囲の知識がものになっておらず、日頃の授業の予習もゼロに近い状態で、更にやることを増やして、全てが中途半端、やった気分にだけは浸れる、というのは避けたい。

 2:勉強の基本は自学である

 私たちは「自発能動」などという一高の標語を持ち出そうというわけではない。そんなものあってもなくても、勉強の基本が自学であることなど、分からないのは真面目に勉強したことのない人だけである。生徒が勉強しないから与えてでもやらせよう、「一高は真面目に生徒の面倒を見ない」と言われたら困るから、とにかく何かしよう、などと教師が動くことは(最近はこれが非常に多いのだけれど・・・)、諸君に勉強の本質を見失わせる(誤解させる)という意味で大きなマイナスである。責任逃れをするつもりはないが、生徒が「次に何をしたらいいか教えて欲しい」「自分が伸びないのは、先生が○○してくれないからだ」などと考え、「待ち」の姿勢に入ると、もうその人は、誰が何をしても絶対に伸びない。だいたい、過去問なんて、進路室に行くだけで簡単に見られるものだ。

 校内で行われることには、「理想」とか「本質」とは相容れない、いろいろな政治的判断に基づくことも多く、私、若しくは2学年国語科としても、折れるべき所は折れ、貫くべき所は貫きながらの毎日である。朝自習や過去問配布については、上のような理由で断固として拒否したが、一方、模試で偏差値が悪ければ責められ、やるべきでないと思うこともやらざるを得なくなる可能性は小さくない。「結果」には戦々兢々、超然と構えているだけでは済まないのがなんとも情けない(涙)。