秋葉原殺傷事件について



(裏面:7月3日付読売新聞「秋葉原殺傷事件7 進学校ゆえ疎外感強まる」鈴木高弘筆を引用)

 秋葉原での事件についての多くの論評の中から、比較的身近なもの(?)を一つ。

 幸いにして、私は「有名大学に何人合格させたか」と評価されている実感はない。しかし、大学合格のみならず、模試で国語の偏差値がいくつだったかということで、有形無形いろいろなプレッシャーが無いかというと、無いとも言い切れない。

 事件が起こった後で分析するのは簡単だ。難しいのは、今どうするかである。多少問題があっても、「心の問題に踏み込」むことが、状況を悪化させること、もしくは受け入れられないことは少なくない。一方、どんな事情があり、対応を取ったとしても、事件が起こってしまえばかならず批判される。

 私自身は、進学校の特殊性は、少なくとも、進学校でないことの特殊性ほど大きくはないと思っている。昨今のいろいろな事件の原因としてとりあえず思うのは、人々の「がまんする力」の不足と、責任を人に転嫁する発想であるが、どちらも一個人の問題というよりは、社会全体の構造の反映であるためにたちが悪い。