温暖化問題と酸素の減少



 先週の社会的話題といえば、何と言っても「サミット」であった。議論の目玉は、地球温暖化対策である。言うまでもなく、環境問題は経済問題なのであって、G8内部の。或いはG8と新興国の対立、駆け引きを見ていると、人間が欲望を制限することって、本当に難しいんだなあ、と改めて思わされる。

 ところで、私がとても不思議に思うのは、二酸化炭素の増加の話はよく聞くが、酸素の減少についての話は一切聞かないということだ。化石燃料と酸素と二酸化炭素は切っても切れない関係で、酸素の減少に反比例して二酸化炭素が増えるというのは自明であろう。なんでも、地球上の化石燃料を全て燃やしても酸素の減少は5%に過ぎないし、二酸化炭素は少し増えるだけで温暖化という困った問題を生むが、酸素は少し減ったくらいでは呼吸や燃焼にはダメージがないから、問題にならないとかいうことだが、平地に住む人はそれでよくても、高地に住む人はそれで致命的ダメージを受けることもあるかも知れないし、化石燃料を燃やすだけではなく、人口爆発による酸素消費量の急増とか、砂漠化や乱開発による酸素供給源の減少とか、いろいろ困った材料はあるのである。そもそも、自然界の変化というのは、そんなに直線的で計算通りなのかなぁ、とも思う。

 人間の生活の贅沢さ、ワガママさを見るにつけても、自分もそれを支える一人であることは重々自覚しつつ、今のような生活がいつまでも許されるとはとても思えない。私は、そのうち、ある日突然、急激に酸素濃度が低下し、人間が一気に全滅するなどということも起こり得るのではないかと思っている(巻き添えになる多くの動物たち、ごめんなさい)。もし、そんなことが起こったとして、その後何年で、私の家は崩れ落ちるだろう?我が家からよく見える某橋は何年で落ちるだろう?コンクリートビルの林立する仙台の街は、どのような形で荒廃が進むだろう?そして、一体何年経つと、地球上が、かつて人間という生き物が存在した痕跡など一切留めない原始の姿に戻るのだろう???と想像がふくらむ。暗くも悲しくもない。むしろ清々しい快感さえ覚えるのは・・・変かなぁ?