若者の政治参加

(1月17日付け「担任のお話」№32より③)

 

裏面:1月7日付け河北新報「壁を破る進撃者たち」欄を貼り付け。取り上げられているのは、白坂里彩さん(19歳)で、見出しは「若者の政治参加 対等に議論できる場模索」。


(ブログ用の補足:この記事の発端は、2022年7月の参議院議員選挙に関して、宮城県内のある高校で起こった「事件」である。およその内容は、その時の私のコメントを読めば分かるので、参照してほしい→こちら。なお、今回貼り付けた記事は、インタビュー記事なのだが、白坂さんが、高校内でのポスター問題が一件落着した後でも、政治に関わる危ない女として周囲から避けられ、東京の大学でもほとんど同様だったという事情が語られる。)


平居コメント:
 私たちの生活は、「全て」と言ってよいほど政治(法令)に支配されている。買い物をした時に10%の消費税がかかるのも政治、道路を歩けば(特に車を運転するようになると)多くの交通法規を守らなければならないが、それも政治、学校で1学級が40人だというのも、国語という教科、「現代の国語」という科目があるのも政治、教科書だって政治のチェックを受けている、といった具合だ。
 しかも、日本は民主主義国家だ(ということになっている)。「民主」というのは、国民が政治の主体だという意味であり、それは選挙に参加することを通して実現する。
 つまり、政治によって生活は支配されているが、その政治は国民が選択した結果だから、支配は正当だ、ということである。
 にもかかわらず、国民の政治意識は、他国と比べて極端に低いと思う。そして、この記事に書かれていることは、そんな日本を象徴する。政治家のすることをチェックしたり議論したりせず、いつの間にか誰かが決めた政治家によって世の中が作られていくというのは、政治家たちが社会的強者であるだけに、怖いことではないのだろうか?
 少なくとも私にとって、記事に書かれた事件がもともと宮城県の県立高校で起こったことだということも含めて、寒気がするほどこわ~~いことである。