心豊かになる学問は実学だ



 一応「引率」、実は「便乗」で国立天文台へ行った。中学・高校時代、天文少年であった私としては、歴史的な場所としての国立天文台そのものにも魅力はあったが、何と言ってもお目当ては、生徒にとっての大先輩、今をときめく若手天文学者・小久保英一郎氏との懇談であった。

 懇談はとても楽しかった。私が最も印象に残ったのは、「天文学をやって、一体何になるんですか?」という生徒の素朴な質問に対する氏の答えだ。それは「私は人類を代表して、人類がどうやってここまで来たのかを解き明かそうとしている。人間にとって、知りたいと思うのは本能であり、知ることによって心が豊かになる。これは十分役に立っていると言えるし、その意味で天文学実学だ」というものであった。私は、「心が豊かになる」ということに堂々と価値を認める所に感心し、共感を覚えた。

 「役に立つ」というと、金になるとか、飯が食えることだけを考える人は少なくない。高校でも、大学入試に直結しないことはやらない、というのが同じ発想だ。しかし、私がいつかどこかに書いた(語った?)ように、人が「高尚だ」とか「人間的だ」と考えることを検証してみると、実益から遠く抽象的であることほどそのように評価されやすいことが分かる。つまり、いさいさかの語弊は含みつつも、金や飯に直接結びつかないことほど人間的、文化的なのである。すると、小久保氏の発想は高度に文化的だということになる。私は文学部哲学科の出身で、かつて、自分が学んでいることの無価値性に、大きな呵責を感じていた時期があったりもした。だから、なおのこと、小久保氏のためらいのない、明瞭な物言いに感動したのだろうと思う。思えば、私なども、彼らのような人々の恩恵をずいぶんと受けている。すばらしい。