にわか鉄子とSL



 生徒の都合で部活がキャンセルになった週末は、これ幸いと、昨年に引き続き石巻線に登場したC11なるSLの追っ掛けをしていた。

 土曜日は、学校が終わった後、石巻駅でSLが見られるように早めの電車で帰り、昨日は家族で車に乗って通過を4回見送った上に、女川駅で機関車の付け替えや、水、石炭の補給など、昼食も取らずに、ホームで1時間半以上にも渡って飽かず眺めていたのだから少々異常な気もするが、これは私が家族に無理強いしたわけではない。むしろ女川駅では、私が帰ろうとしても、「にわか鉄子」と化した娘が、SLにへばりついて頑として動かなかったのである。沿線で見物している人々も、SLにノスタルジーを感じる世代が主ということはなく、正に老若男女を問わず、である。いかにSLの魅力が普遍的かということであろう。

 SLの持つ人間的な温かさ、親しさは、普通の人間が技術を身に付けることで、隅から隅まで作ることも直すことも可能だという点に、その本質的な原因があると私は見ている。今時のコンピューターを始めとする電子機器は、手作業では作ることも直すことも出来ない。もちろん、私達がSLを眺める時、そんな背後の理屈を考えているわけではない。しかし、私達は案外そういうことを直感的に感じ取り、漠然と「人間的な温かさ」などと形容してみるのではないか。

 次は、年末、12月20、21日に陸羽東線をD51が走るらしい。行けるかどうかは分からないが、行きたいと思う。これは、日頃、無味乾燥な電子機器に取り囲まれて生活していることの反動であって、寂しいことなのかも知れない。