春到来の瞬間



 授業中、何かの拍子でふと話したことがあると思うが、私は学生時代、市内の某仏教寺院に下宿、ではなく、居候をしていた。がらーんと広い、教室くらいもあるお堂に一人でぽつんと暮らしていたが、とある事情でストーブもコタツも置けず、冬はただひたすら寒さに耐えていた。これくらい寒さと向かい合って生活をしていると、日々の天気や春の気配というものに対しては、信じられないくらい敏感になるものである。

 今でも鮮明に覚えているのだが、2月の上〜中旬のある日、外に出た瞬間に「あっ、今日春が来た!」と分かる日がある。その時の感動たるや筆舌に尽くしがたい。決して気温が上がったわけではなく、雪が降っていたりしても、やはりその日、間違いなく春は来たのである。

 「何をバカなこと言ってんだ?!」と鼻先で笑う諸君は、今、自分がいかに暖かな、文明に守られた生活をしているかに思いを致してみるとよい。もちろん、今は私も同様であって、その結果、春到来の瞬間など知りたくても知ることが出来ない。

 「文明は人間を堕落させる」と同時に、昔の人が「立春」などどいう節気を設定したことの必然が、しみじみと感じられることである。