財務大臣辞任の意味



 財務大臣が辞任をした。ああまたか、と思うのが哀しい。醜態と言うべき得体の知れない記者会見の様子が、うんざりするほど繰り返し放映される途中に、まるでその醜態をより醜く見せるためであるかのように、来日したアメリカの国務長官の明るくさっそうとした姿が映し出されるのだから、日本人としてやりきれない思いがした。

 その後のバチカン観光での問題行動も含めて、辞任した元財務大臣と、彼を任命した首相の責任を問う声は大きい。確かに、今回の財相の行動などは気が滅入るほど情けないのだが、世間のそんな非難を聞いては、ちょっと待てよ、と思う。政治家に、勝手に政治家を名乗っている人など一人もいない。みんな何万、何十万という票を得て当選した人ばかりで、しかもそういう人ばかりが集まって合議の上で首相を選び、その首相が大臣を選ぶのだから、結局悪いのは国民(有権者)だということになる。しかも、立派なことを言っている人にだまされた、というならまだしも、過去の例を見る限り、不祥事を起こした人でも、その後の選挙で落選する人というのは案外少ないものである。

 国民が、縁故や情実、特に目先の利益に流されず、自ら情報を集め、政治のあり方について深く考え、慎重に一票を投ずるということをしない限り、政治家の不祥事はなくならず、政治の質も上がらない。元財相や首相を非難すればするほど、人は自分たちの責任から目をそらし、従って改善への道からも遠ざかる、と私は思う。政治家の質は国民の質であるということ、重々肝に銘じなければ・・・。