時間の流れに身を任せる



 もはや先々週の末となってしまった2月6〜7日、私は例によって山岳部の生徒諸君と山へ行っていた。何日か前から天気予報を見ながら、怪しげだなあ、と思っていたのだが、実際当日は強い雪、翌日は更に冬型が強まりそうだとあって、あまり生徒を連れて山に行ける状況ではなかった。それでも、OBのコーチと相談した結果、登山はやめた方がよいが、スキー場界隈で冬のテント泊だけは経験させ、勉強させようということになって出発した。

 案の定、高速道路が通行止めでバスは遅れ、蔵王町役場前から乗り継ぐ予定だったスキー場の送迎バスに乗り遅れてしまった。次のバスはなんと3時間半後。外は吹雪である。仕方がないので、お願いをして、蔵王町の中央公民館で待たせてもらうことにした。広々として美しく、図書館もあり、温かくて甚だ快適だったこともあるが、私としては、じたばたしてもどうにもならない時間というのは、どうしてこんなにのんびりしていて豊かなんだろう、という感動が大きかった。「時間を無駄にしない(するな)」とはよく言われることで、それは勤勉を意味し、美徳とすら考えられることが多いが、それによって私達は日々自らを追いつめ、苦しめているのも確かである。

 翌週(つまり先週)末、金曜日からの三日間は、東北六県の山岳部顧問の研修会があって、こちらは生徒を連れず、八幡平に行った。個人の移動に車などという1トンの鉄の塊を使うのは地球環境上のモラルに反するという信条もあり、前の週ののんびりとした時間の教訓もあって、集合時間が遅いのをこれ幸いと、列車(鈍行=各駅停車)とバスで行った。接続があまりよくなかったために、往路は6時間、復路は7時間ほどかかったが、これまた何とものんびりとした豊かな時間を過ごすことが出来た。自分にはコントロールできない時間(「自然」へと拡張可能かも知れない)に身を委ねることの価値をしみじみと感じた二度の週末であった。