人間は理論化できない・・・文系の幸せ



 文系と理系がどう違うかということについて、文系は人間を、理系は自然を探求するという話は、今までに何度かした。以下はそれに関連する話。

 一昨日の昼間、私はかつて同僚であったS先生の定年退職を祝うために小牛田へ行き、その後は、一緒に行った仙台市内某私大で経済学を講じるK教授(1月22日付このプリントにも登場)の車に乗せてもらって、「62回生の卒業を祝う会」に出席すべく仙台に向かった。車中、四方山話をしながら、私がふと面白いと思ったのは次のような会話である。

 「経済学は科学である、従って、文学や歴史学とは違って客観的・論理的であり、仮説(予測)を立て、検証できるということを今まで訴えてきた経済学者が、今やそのことについての反省を多く口にするようになっている。なぜなら、経済学は今日まで、過去の出来事の分析には成果を上げたが、未来の予測については全く無力であり続けて来たからだ。」・・・「なぜ未来の予測が出来ないかと言えば、それは人間の思考や行動というものが理論の枠にはまらないからだろう。だとすれば、それは経済学の敗北として経済学者を批判するよりも、人間というものの面白さ・豊かさを証明する話として、人間を評価した方がよい。経済学の間違いは、人間の全てを予測しきれないことではなく、それを無理に科学として位置づけ、予測が可能であるかのように振る舞おうとした点にある。」

 自然の秘密というものが、科学の力によってどれほど解き明かされたか私は知らない。しかし、その研究は物質としての人間の全ての遺伝子や宇宙の起源にさえ及んでいる。私は、たとえ自然が100%解明されることがあったとしても、やはり人間は不可解であり続けるのではないかと思う。これはロマンだろう。文系を選んだ諸君は幸いである。