ものは見てみないと分からない・・・高橋英吉・幸子展



 昨日は、朝から、石巻文化センターというところで開かれている「高橋英吉生誕100周年記念 永遠の想い・・・英吉・幸子父娘展」というのを見に行った。元々行こうなどという気はなかったのだが、知人から招待券はもらったし、前日に義母(美術が専門の元小学校教諭)が見に行って、ひどく感激した、ということだったので、まあ雨が降っていて他に何が出来るわけでもないから、と、子守がてら足を運んだ、という甚だ消極的ないきさつであった。とはいえ、これが思いがけず見応えのある、よい展覧会だったのである。

 私の前々任校である石巻高校の図書館には、今回も展示されていた「聖観音立像」という作品が、学校の宝として鎮座していたので、高橋英吉という名前はよく知っていた。しかし、今回初めて、高橋の作品をまとめて見る機会があって、私が「名前はよく知っていた」などと言うのは、正に「名前だけは知っていた」ということであって、彼の作品の持つ力(価値)や、生き方の面白さについては、まったく何も知らなかったのだ、ということに否応なく気付かされた。

 私は、決して芸術、特に彫刻作品の良し悪しなどが分かる眼力ある人間ではないので、あまり偉そうなことは言えないが、非常に力のある立派な作品であると思った。高村光太郎は、時代的なズレもあって、高橋に一度も言及していないが、もし見る機会があったなら「生(ラ・ヴィ)がある」と言って評価したのではあるまいか、などとふと想像した。生き方について言えば、東京美術学校を卒業し(専攻科中退)、文展での初入選も果たした後、突如として、捕鯨船の作業員となって船に乗り、南氷洋へ行ってしまったというのが心引かれた。芸術家として順調な歩みの中で、芸術とは何か、日頃の物の見方についての反省等いろいろな葛藤があっての決断だったのだろうと思う。私は、月並みかも知れないけれど、そこに、真に芸術を追究する人間の魂を感じた。帰国直後の作品が文展で特選。31歳、ガダルカナル島で戦死。惜しい人を早く亡くしたものである。

 召集されたため、1ヶ月ほどしか共に過ごせなかった娘は、版画家になった。こちらについてはよく知らなかったが、これが日本的な温かさと、奥ゆかしさを感じさせてくれるなかなかよい作品揃いであった。「こころの木版画家」などというコピーは、しょせん営業用だろうと思っていたが、なかなかどうして。やはり、ものは実際に見てみないと分からない・・・!。(5月9日まで開催)