政治家も育てる



 沖縄問題がますます大変なのに加えて口蹄疫である。たまたま(?)、小沢氏の政治資金問題もあって、民主党の支持率も末期的状況になってきた。

 小沢氏の問題はさておき、沖縄を中心とする基地問題と、それに大きく関係するであろう民主党の凋落について、思うことを補足的に書いておこうと思う。

 鳩山首相の発言は確かにほめられたものではない。言うことが何度も変ったし、相当に無理のある言い訳も耳についた。しかし私は、決して鳩山首相、もしくは民主党を積極的に支持するわけではないのだが、手厳しい世論に簡単に同調するわけにも行かない。

首相の言う、以前は基地の分散は簡単にできると思っていたが、いざよくよく実情を知り、それが一体的に運用されていることが分かると、なかなか難しいと思うようになった、というのは、突如として政権を取った者の本音であろう。外野で文句を言うのは簡単だが、責任ある立場になると様々な事情が見えてきて、話を動かすことが非常に難しくなるというのは分かる気がする。マスコミへの情報の流れ方(流し方)も油断だらけで、マスコミが騒ぐことによって事態がややこしくなっていることも多い。オープンに政治を行うことは大切だが、政治などというものは所詮利害のぶつかり合いの調整なのだから、オープンになればなるほど不利益を受ける側からの横槍が入り、話がこじれるのは当然だ。透明性の確保における、「美談」と「キレイごと」との差は紙一重である。公開のさじ加減は、いかに政治家といえども、政権担当者として事態に直面してみなければなかなか身に付くものではないと思う。

 民主党の支持率が下がった結果として、民主党が政権を失った場合、まさか社民党共産党が政権を取ることなどないだろうから、再び自民党政権政党となるのであろう。それは、人々の歓迎することなのだろうか?民主党もダメだ、自民党もダメだ、と言ったところで始まらない。どちらがましか、と考えるしかない。と同時に、あれもダメだ、これもダメだ、と首をすげ替えていても、それによってやがては立派な人材が出て来るとも思いにくい。

 こういう場合、私は、人々が何かしらの思いで、昨秋に民主党を圧倒的に支持したのであるから、一度はそれと心中するくらいの腹のくくり方をして、政治家を使い捨てにするのではなく、育てることも考えるべきだと思う。目安は、衆議院の一期満了である4年だろう。民主党が、選挙期間中と全く違う方向へ向って進もうとしているならともかく、一応約束は果たそうとして(その約束が本心であるのか、選挙向けのパフォーマンスであるのかは別問題)、どうにも身動き取れなくなっているというのが実情だと思う。政権を取って初めて見えてきた現実の中で、民主党の諸氏がいったい何を学び、どのように活路を見出していくか、批判しながらも温かく見守ってみてはどうか、と思う。

 沖縄問題を見ていると、「現実」と向き合うことは、結局、自民党と同じになることなのか、という気もする。しかし、その時、人々は昨年自分たちが批判した自民党の価値を見つめ直すことにもなるだろうし、改めて「理想」を目指す第三の方法について考え始めることにもなるだろう。そうして国民もまた学ぶのだと思う。政治家でも国民でも、簡単に賢くなり、問題を解決させる方法というのはない。価値あることをするためには、常に長い時間と大きなエネルギーが必要なのである。「文化の価値は掛けた手間暇に比例する」(by平居)