平均点はいらない・・・坂田隆氏の世界



 私の地元・石巻では『石巻かほく』という新聞が出ている。その第1面に「つつじ野」というコラムがあって、委嘱されたらしい素人が、曜日を決めてエッセイを書いている。今年に入ってから私が注目しているのは、毎週木曜日に掲載されている石巻専修大学長・坂田隆氏によるものだ。消化器官の専門家らしいが、平易な言葉で、一見平凡ながらも実は急所を突いていると思われることを、まとまりのある、ほのぼのとした筆致でうまく書いていると思う。今年2月19日には、本物の(?!)「月曜プリント」裏面に、「運」と題されたもの(2月11日掲載分)を引用したことがあるので、記憶している人もいるかも知れない。

 昨日のものも、最近の私の問題意識に触れるだけなのかも知れないが、よかった。非常にローカルな新聞で、「つつじ野」はネットでも公開されていないので、このブログを見ている人の大半は読むことが出来ないだろうから、ここに引用しておこうと思う。昔の一高も、きっとこんな感じだったことだろう。


「高校に入学した直後に「この学校では平均点とか、順位とかはつけません」という話が担任の先生からあった。国立大学の附属中学からきた子が「どうしてですか?」と尋ねた。「他の人のことを気にしてどうするだね。自分ができたらええがね」と名古屋弁で先生は答えた。「あと、大学受験は個人的なことだで、じぶんでやってね」ともおっしゃった。

 「たしかにそうだ」、と一同納得して、3年過ぎた。だから、いまだに同期の連中の誰ができたのか、わたしは知らない。

 一回だけ代数の先生が平均点を教えてくれた。「こないだの試験の平均は17点だったんだわ。零点とか、一けたの点数だった人もよーけおるけど、気にせんでもええでね」ということであった。

 思えば快適な暮らしであった。試験は年に4回だけ。単語の試験とかのケチな小試験はない。補習もなければ、宿題もない。

 よほどほかに取りえがないやつしか熱心に勉強なんかしない。「すだれをあげると、あちらには海をこえた唐の世界が広がっていたのでございますよ」という古典の授業や、「ここに補助線を引きたくなるのが、人情です」という幾何の授業を「ふーん」と思って聞いていた。部活に熱中する連中や、学生服でパチンコをやるやつ、同人誌を出すやつ、いろいろな生徒がいた。目立つことが美徳、他のやつと違うことが値打ちだった。

 マラソン大会で速ければ、ちょっと威張れる。学級日誌に著者交代の連載小説を書くのだが、面白い文章を書くと尊敬された。ご飯の食べ方がきれいなので有名な女の子もいた。

 誰にも一つくらいは取りえがあるもので、どこかは他の人に認めてもらえた。これは楽だった。それでも、みんなそこそこの大学に行って、社会人になった。

 これに比べると、偏差値や有名大学への入学者数で一喜一憂する高校は住みにくかろう。安易な基準で高校の値打ちを決めるのは、品がない。」(5月20日)