口蹄疫問題で知ったこと



 今話題の口蹄疫という家畜の病気は、人間に感染しないこともあって、私自身の危機感は甚だ希薄であるが、感染拡大防止のために、とりあえずは病気の兆候すらない十何万頭の牛や豚を殺して埋めたという凄惨な話を聞いていると、鬼気迫る深刻さが感じられ、肌が粟立つ思いがする。西洋におけるペストや、南米の黄熱病の大流行はこんな感じだったのだろうと、人間の歴史に思いを致すことも多い。

 ところで、今回私にとっての発見だったのは、宮崎県の畜産農家の反応である。新聞を中心とした、大きな精神的打撃を受けている畜産農家についての報道を、当初私は、ひとえにその経済的損失についてのものだと思っていた。しかし、どうやらそうではなく、感染拡大防止のために殺される家畜に対する「可哀想だ」という感情によるものらしい。殺処分となることが決まった豚に、処分の直前までいい餌を与え続ける話や、埋却処分に当たる係員に、一緒に埋めて欲しいと花束や好物のトウモロコシを差し出したという話は、涙なしには読めない。

 私は今回の報道に接するまで、食肉用の家畜は終始「物」としてしか扱われていないと思っていたのである。ところが、どうやらそうではなく、最後に「食肉」として役割を果たし、成仏できると思うからこそ出荷も出来る、そうでない無為の死を与えることは情において耐えられない、ということのようである。つまり、畜産農家の方々は、家畜をあくまでも生き物として扱い、必要やむを得ざるものとしてそれを屠殺しているらしい。おそらく、そこには家畜に対する深い感謝もあるに違いない。

 それは、私達消費者も同じくしなければならない思いである。今回の事件をきっかけに、日頃店で売られている食肉に、それを作る人々のどのような思いがあるか知ったこと、それだけは収穫だったように思う。