このままでは終れない?



 かねてより予告していた通り、5月以来のダイエットシリーズ総まとめとして、「北上市民マラソン」というものに参加した。一高の強歩大会で41Kmほど走ったことはあったが、正式なフルマラソンというものにも、一般のレースにも、参加するのは初めてであった。

 結果は、4時間7分48秒で、エントリー980名(当日実際に走った人の数は不明)中354位であった。自分としては「惨敗」と言ってよい。最低最悪と思っていた4時間13分10秒(=10Km/h)だけはクリアーしたものの、実質的な目標タイム3時間30分には遠く及ばず、そして何よりも、30Kmを過ぎてからのバテがひどすぎて、まったく楽しめなかったのが不愉快である。

 体長は決して悪くはなく、スタートしてから、息を切らすことのない1Km=5分のスピードで、美しい北上川や田園風景を見ながら順調に走っていた。車で下見をした時に少し手ごわいなぁ、と思っていたアップダウンも、あまり負担を感じずにクリアーした。1時間45分で中間点を通過。このペースなら十分に維持可能だろうから、3時間30分はクリアーできるだろうと思った。

 ところが、である。この直後から、僅か数分のうちに、失速してしまったのである。なぜか足が前に出ない。これほど急激にバテが来たのは初めての経験である。30Km過ぎからは、状況が更に悪化。足にビーンとしびれのようなものを感じることになってしまった。この頃から、僅かな上りでも歩くようになった。走っていても、ピッチが上がらないので、無理して走る気にならなかったのである。時計を見ながら、25Kmあたりで、ペースが維持できないことが分かって3時間半はあきらめ、30Kmでは4時間も不可能、35Kmでは4時間13分も無理という気になり始め、一時はリタイアという言葉さえ頭に浮かんだ。後から後から、女性や60代、70代と思しき人達が私を抜いていった。しかし、どうにもならない。

 40.9Kmの第9給水所で、コールドスプレーを借り、塩を口に含んでから状況が変った。いや、単にゴールは近いと思って変っただけかも知れない。足のしびれが少し引き、走れる状態になった。時計を見ると、4時間13分という最低ラインはまだ可能性がある。ここから一気に走って、上記のタイムでゴールした。

 なぜ、このような情けない事態になったのであろうか。

 ・心の中に一種の「おごり」があった(自分は持久戦には強いという思いがあり、足が前に出ないという事態は、経験も想定もしていなかった。しょせん一高の強歩大会と同じ距離で、コースははるかに平坦だ、というなめた気持ちもあった)。

 ・前夜、よく眠れなかった(雨音が強いのと、寝過ごしたら困るという意識と、何か飲んだものの都合でか、非常にトイレが近かったのと、更に、寝相の悪い子どもが、再三私の顔に足を載せてくるのとで、しばしば時計を見つつ長い夜を過ごすことになった)。

 ・周りの人々が強者揃いであった(学校のマラソン大会は、自分が安定したペースで走っていれば、生徒が後から後から落後してきてくれて、それをからかいながら抜くのが面白く、それによって自分のテンションが維持できた。しかし、今回の参加者は、どちらかというとピッチが上がるばかりで、全然誰も落ちてきてはくれなかった。そのため、遠い目標を追いかけているような徒労感に近い疲労感があった。市民ランナーの実力というものを思い知った気がする。これによって、多少オーバーペースになったかも知れない)。

 ・気象条件が厳しかった(1日雨かと思っていたら、スタート時は曇り。その後、晴れ間も見えるようになってきた。思いの外に陽射しが強く、湿度が高くて、20度を超えると、私には厳しい条件と感じられた。前半、他の人との関係で給水所で水を取るのが難しく、水分の補給が後手に回ったのも、状況を悪化させた。)

 

 このままでは終れないなぁ、という気持ちがある。しかし、日常的に走る時間を確保するのは大変なので、ほどほどにしたいなぁ、という気持ちもある。まあ、大会が終わって、またぶよぶよ太り始めたのでは元も子もないので、そのような元々の目的も考慮しながら考えようと思う。

 一緒に参加した若き同僚3名は、3時間26分、同27分、4時間20分でそれぞれ完走。夜は、山間の温泉宿で楽しくどんちゃん騒ぎ・・・だったのだが、一人私は8時過ぎにダウンして寝てしまった。それはそれでのんびりできてよかったのだけれども、最後まで情けない自分であった。