マラソン考・・・その1



 今、学校の図書館で、村上春樹伊坂幸太郎の本を特別展示している。先週の木曜日、それらを前にして、村上春樹について話をしていたところ、司書のAさんに、「この本読んでみませんか?」と声を掛けられた。見れば村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』という、なんだか非常にまどろっこしいタイトルの文庫本である(レイモンド・カーヴァーの本のタイトルのパロディらしい)。「北上市民マラソン」が終わって失意の一週間を過ごしていた私は、あまりのタイミングのよさに、Aさんは私がマラソンに出たことを知っているに違いないと思い、尋ねてみると、にこにこ笑いながら「ブログ読みましたよ」と言われてしまった。ははは・・・(汗)

 何しろ「失意」のただ中である。マラソンに関する本を読むのも気が進まなかったが、パラパラとページをめくりながら、写真とそのキャプションだけ目を通して、村上春樹がアマチュアランナーであったことを初めて知り、少し興味を感じた。私は別に村上春樹のファンではない。そもそも、好きとか嫌いとか言えるほど、その作品を読んでいるわけでもない。ただ、次はノーベル文学賞だなどと言われるほどの作家が、机の前で文字を書き続けることの対極にあるような、走るという屋外での継続的な作業に取り組んでいるということに、ほんの少し面白さを感じたのである。Aさんの厚意(?)を無にするのも申し訳ないので借りて帰り、読み始めると、これがなかなか面白い。どれほどたいした内容があるかとは関係なく、まずは、やはり文章そのものが上手いのである。さすが本職の、しかも有名な「作家」は違うなあ、と感心しながら、一気に読んでしまった。

 しかし、私がそれだけ熱心に読んでしまった理由は、単に文章が上手い、というだけではなかっただろう。最初から3分の1くらいの所に出て来る、彼が2004〜5年頃、千葉県で走った某マラソン大会での体験が、あまりにも北上での私の体験とよく似ていたものだから、ついついそのような体験の後の彼が知りたくなってしまったのだと思う。

 その彼の体験とは、例えば次のようなものだ。(〜は中略の印)

 「30キロくらいまではまあまあのペースだった。〜スタミナはまだ残っている。残りの距離はじゅうぶん走り切れそうだ。ところがその直後に脚が突然言うことを聞かなくなった。〜やがてまったく走れなくなってしまった。」

 「ほかのランナーに後から次々に追い越されながら、顔をしかめ、脚を引きずり、ゴールに向けて歩いた。ディジタル・ウォッチの数字は無慈悲に時を刻み続ける。」

 「あと2キロというあたりでようやく痙攣が収まってきて、再び走り始めることはできた。〜最後は思い切ってダッシュできるところまでいった。しかしタイムは惨憺たるものだった。」

 上の「30キロ」を「25キロ」に直し、「ディジタル・ウォッチ」を「アナログ・ウォッチ」にでも直せば、まさに10月10日の私の姿そのものであることは、このブログに目を通してくれている方には容易に分かることだろう。

 さて、彼は、続けて敗因を次のように分析し、書いている。

 「失敗の原因ははっきりしていた。走り込みの不足・走り込みの不足・走り込みの不足。これに尽きる。」

 いささか書き方が曖昧で、分かりにくいところもあるのだが、この頃、作者は50歳代の半ばで、週に60キロ(つまり10キロ×6日)走ることをノルマにしていた。これは、1ヶ月に250キロくらい走ることを意味するのだが、実際には、300キロを超えることも珍しくはなかったようだ。

 そう言えば、9月11日のNHK『サンデースポーツ』で、24時間で何キロ走れるかというマラソンに挑戦した普通のサラリーマン某氏の特集をやっていた。彼は、結局ちょうど200キロを走って、4位だかになった(本人の意識としては「4位に終わった」)のだが、トレーニングの量は、なんと1ヶ月に1000キロという。某氏は私より3歳若いだけの45歳であった。

 これらは、いささかショッキングな話であった。私はと言えば、日によって取れる時間が違うので、彼のように安定したトレーニングは元々できない。5キロくらい走る日が2日、8キロが1日、10〜13キロが1〜2日といったところだろうか。つまり、週に30キロ前後、月に120キロ前後、村上春樹の半分、某氏の8分の1である。

 これは、時間が取れるかどうかというだけの問題ではない。一般的な体育理論によれば、毎日トレーニングをすることは筋力の強化に結び付かず、ある程度運動をして、休養を取った時に筋力はアップする。だから、毎日走ることは決してよいことではない。また、自分で自分を見つめた結果として、年齢の問題もあって、3日以上続けてトレーニングをすれば、筋力の向上よりも、疲労の蓄積が勝ると私は判断していた。これらのことから、私が自分のトレーニングとして適切と考えていたのは、10キロ以下を2日走っては1日休む、土日に少し時間が取れれば15キロ程度走っても構わない、であった。実際、30キロ、40キロを超える(1年おきに距離が違う)一高の強歩大会でも、これ以下のトレーニングで何とかなっていた。少し極端な言い方をすれば、5キロの延長線上すぐの所に、33キロも41キロも、ゴールはあったのである。(続く)