マラソン考・・・その3



 今回のマラソンで、唯一明るい材料だったのは、疲労が尾を引かなかったことである。さすがに翌日は筋肉痛を感じたが、翌々日にはそれがほぼ消えて、走れる状態になった。たまたま、村上春樹の本を読んで刺激を受けたこともあり、「失意」を心の内に抱え込んでいたこともあったので、二日だけ休んでまた走り始め、北上市民マラソン後の1週間で、約45キロ走った。大会直後の2日間を除いた水曜日からの1週間について言えば、天気が良かったこともあって、休日を取ることなく、55〜60キロ走っているだろう。これは、マラソン出場直後であることを考えなくても、私としては非常に多い方に属する。それでも、やってみると、くたびれるどころか、すこぶる快調である。やはり私は、このような走り込みを実際にやらずに、疲れがたまるはずだ、筋力の向上にはつながらないはずだという思い込みで、自分との対話を放棄してしまっていたに違いない。

 思えば、私の「走る」という作業は、もともと肥満対策であった。しかし、単に太る太らないという問題ではなく、走ることが、自分の健康管理に有効であるなら走ればいいのだ。その上で、自己満足のために、納得のいく距離なりスピードなりを考えればいいのである。

 その後、私は11月28日に登米市で行われるハーフマラソンにエントリーしてしまった。これは、しょせんハーフであって、間違いなく無理の利く距離だ。北上では、息が切れないペースを維持しつつ1時間45分で通過した。これを1時間半に縮めようとしたところで、そこまでスピードが上がらないということはあっても、体にがたが来て走れない状況に陥るとは思えない。だから、いくら好タイムが出たとしても、或いは自分なりに楽しんで走ることが出来たとしても、北上の「失意」が払拭されることにはならないだろう。しかし、このまま2010年を終えてしまうのは、もっとすっきりしないと思ったのである。

登山の世界において、ヒマラヤを目指し、遠征隊に参加した場合、最近は全員登頂を目指す隊も増えては来たが、一般的には、10人の隊でも、頂上に立てるのは2人か4人である。それでも、誰かが頂上に立てば、遠征は「成功」と評価される。しかし、ルート工作と荷揚げだけで登山活動を終えることになった他のメンバーも、自分が頂上に立ちたいと思う気持ちは強く持っていて当然である。頂上に立てないままに帰国した隊員は、その後、ヒマラヤのどこかの山の頂上に立つことについて、頂上に立ったメンバーよりも、そして、遠征隊に参加する前よりも、非常にしつこい執着を持つようになるものだという。今の自分の心理はこれに近い。

 村上春樹はこんなことを書く。

 「スタミナをつけ、各部の筋力をアップし、肉体的にも心理的にもはずみをつけ、志気を高めていく。そこでの重要なタスクは、「これくらい走るのが当たり前のことなんだよ」と身体に申し渡すことだ。〜身体というのはきわめて実務的なシステムなのだ。時間をかけて継続的に、具体的に苦痛を与えることによって、身体は初めてそのメッセージを認識し理解する。その結果、与えられた運動量を進んで(とは言えないかもしれないが)受容する。そのあとで我々は、運動量の上限を少しずつ上げていく。少しずつ、少しずつ。身体がパンクしない程度に。」

 身体と心の関係云々というような面倒な議論をするつもりはない。ただ、確かに、身体というものは基本的に物質であり、ひどく機械的なものであるだろう。犬ぞりを引くエスキモー犬のように、愛情を持ちつつ、甘えを許さず、命令に絶対に従うように妥協なく、手厳しく教育していくことによってこそ、それに順応し、最大限の役割を果たすようになるものかも知れない。今後しばらく、そんな人間の身体の性質を見極める作業をするのは、単に運動するというのではなく、知的好奇心をもくすぐられる面白い作業である。それによって体調を崩せば、それが自分の限界と割り切って、やめればいいだけのことだ。私は走ることに関して、誰に対しても、どのような責任も義務も負ってはいないのだから・・・。(一応終わり)