周恩来待望論



 例の尖閣諸島に関わる問題発生以来、日中関係がぎくしゃくしている。北朝鮮問題やノーベル平和賞でも、中国の挙動は怪しい。私も他の多くの日本人並みに、中国の尊大な態度に不安と不愉快とを感じていた。

 私が、政治というものを考える時、特に、中国政府のやり方というものについて考える時、必ず頭に浮かぶのは、「周恩来だったらどうしたかな?」ということだ。周恩来とは、もはや知る人も少なくなったかもしれないが、1949年の中国建国以来、死去する1976年まで27年間、国務院総理(首相)であり続けた人物である(うち9年間は外交部長=外務大臣兼任!!)。「仕事の鬼」というよりは、もはや「人間の形をした仕事」と言った方がよいほど、狂ったように仕事をし続けた人であるが、むしろこの人が驚異なのは、超大国・中国の首相という実に多くの巨大な利害がぶつかり合う場所に権力者として身を置きながら、敵が極めて少ない、ということである。この人の敵だとか、この人を嫌いだとか言う人は、文化大革命時代の江青グループといった、特殊な、いわば狂人しかいないのではないかと思う。ほとんど全ての人が、どんなに中国が厳しい状況にあった時でも、周恩来だけが頼みだ、周恩来がいる限り何とかしてくれるのでは、といった希望を持ち続け、周恩来が道理に外れた言動を取る時には、そこに彼の深慮遠謀を感じ、批判しなかった。この人の能力と人格により、あらゆる古参の高級幹部が失脚した中でも、ずるがしこく立ち回ったわけでもないのに、遂に失脚を免れたというのは、どんなに想像をたくましくしても想像できないほどすごいことだと思う。

というわけで、私は先月の初め頃から、家にあった何種類かの周恩来伝の中から日本語訳の3種類(ディック・ウィルソン、ハン・スーイン、金冲及のもの)を読み直していた。そして、改めて、この人の体力、知力を含めた超人間的な仕事ぶりに驚嘆した。一方、彼の外交姿勢というものについて今更ながらに分かったことは、道理を尽くし筋道の通った考え方、相違点よりも共通点を探すという姿勢、目先の利益にこだわるよりも大局的な観点を大切にする発想、といったことであるが、このように文字で書いてしまえば、誰でも出来そうな気がしてくる。実際、「戦略的互恵関係」という実質的な意味不明の美辞麗句ではないけれど、今の多くの国だって、基本的にはそれらの姿勢によって外交交渉をうまく進めようと努めているに違いない。

 では、周恩来の独自性とは何だろうか。持って生まれた明晰極まりない頭脳、際だった実務能力、スマートな外見、成長の過程で身に付けてきた洗練された品性やユーモアの感覚といったものももちろん大切だが、最も重要なのは、相手のために配慮するというやさしさ、その前提となる自分個人の利益を全く考えないという無私の精神ではないだろうか、と思う。周恩来が、死ぬまで極端に質素な私生活をしていたことは有名であるし、時間を自分のために使うことも一切しなかった。そして、外交の場において、たとえ相手と大きな意見対立があったとしても、その対立する部分以外では、中国以外の国との関係も含めて、どうすればその国にとって有利になるかということに気を配っていた。そうすることが回り回って中国の利益になる、というケチくさい思いからではなかったように見える。これは平時においても大変なことであるが、何十年にもわたり連日20時間近くも仕事をするという極限状況にあっては至難であり、だからこそ相手にその誠意が伝わり、妥協も理解も生まれたのだと思う。

 いくら周恩来でも、尖閣諸島問題で日本に妥協したりはしなかったはずだ。しかし、こじれた両国関係の修復のために、話し合いの場を持つこと自体に難色を示したりは絶対にしなかったと思うし、難しい外交交渉の後に、たとえ未解決な部分が残ったにしても、交渉に当たった人々は爽やかで温かい余韻に浸れたに違いなく、それは必ずや、直接は関係しないかも知れない有形無形さまざまな事柄によい影響を与えたに違いない。

 伝記はいくら読んでも、その人の真似は出来ない。伝記を読む時ほど、読書というものの無力を感じる時はない。逆に言えば、伝記を読んで真似を出来る程度のことなら、その人が偉大である理由にはならない。しかし、世の中にはこれほど多くの人がいるのだから、中国に周恩来が再び現れないか、日本に周恩来のような人物が現れないか、と思う。もちろん、私自身は決してそうはなれないので、そのように言うしかなく、そのことの無責任と可能性の希薄さは重々分かっているのだけれど・・・。